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ASKAの女だけじゃない パソナ代表の元秘書“美女軍団”

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140525-00000004-nkgendai-ent
日刊ゲンダイ 5月25日(日)10時26分配信

極度の疲労感や眠気など、覚醒剤の離脱症状は数時間から数日で表れます」(精神科医)

 シャブ&ASKA(本名・宮崎重明=56)が逮捕から5日目の22日に、覚醒剤の使用と所持を認める供述を始めた。

 一方、東京・大手町のパソナグループ本部ビル内にあるカウンセリング会社「セーフティネット」元社員、栩内(とちない)香澄美(37)は頑として否認を続けている。一体、誰をかばおうとしているのか。パソナグループは否定しているが、栩内は同社の南部靖之代表(62)の“接待秘書”を務めていたとされる。

「南部代表は、パソナの迎賓館『仁風林』で頻繁にパーティーを開催していた。“接待秘書”は政財界、芸能関係者のVIPたちをおもてなしするのです。ASKAと栩内が出会ったのも南部代表主催のパーティーでした」(パソナ事情通)

「仁風林」に出入りしていたのは、政界では民主党の前原誠司(52)グループが有名で、前原の妻・愛里さんは、南部代表の元秘書。「在籍期間等の詳細はこちらではわかりかねます」(前原事務所)と言う。

■あのミス・インターナショナルも

 ミス・インターナショナル12年グランプリの吉松育美(26)も元秘書だ。吉松の所属事務所は、「世界一になって以降、南部代表とは全く関わりがない。栩内さんも知りません。(吉松は)酒も飲まない。仁風林に行ったことがあるかどうかは分かりませんが、パーティーが苦手で、そのような場にはほとんど出ていないのです」(担当者)と答えた。

 10年のミス・インターナショナル日本代表の金ケ江悦子(28)は、アーティストのマネジメント業務も行っているパソナのグループ会社「エコLOVE」に所属。
「金ケ江はパソナのイベントにも出ています。栩内のような“役割”じゃなくても、南部代表は常に周辺に美女を揃えていました」(前出のパソナ事情通)
 一体、ナニがしたかったのか。
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創価学会の三色旗には、どんな意味があるのですか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13104445838
ベストアンサーに選ばれた回答


asam7021さん

1988年4月に第1回全国婦人部幹部会の席上行われた、池田名誉会長からの提案を受けて作られました。

三色旗に使用されている赤・黄・青は、創価学会では赤=勝利、黄=栄光、青=平和を象徴しています。

このほか、婦人部では、赤=和楽、黄=求道、青=福運。

聖教新聞では、赤=太陽、黄=知性、青=広宣流布などの意味を持っています。

栩内容疑者はパソナ代表の接待要員だった? パーティーでASKAと知り合うと週刊誌報道

http://www.j-cast.com/2014/05/22205493.html
2014/5/22 20:02
ASKA容疑者(56)とともに逮捕された栩内(とちない)香澄美容疑者(37)は、パソナグループの南部靖之代表(62)の秘書としてパーティーなどの接待要員をしていたと週刊誌各誌が報じた。事実関係はまだはっきりしないが、そこでASKA容疑者と知り合ったともいうのだ。

「ナゾの美女」としてその素顔がよく分からなかった栩内香澄美容疑者は、週刊誌報道などでようやくその一端が見えてきた。

週刊文春や週刊新潮が詳しく取り上げる

最も詳しく報じたのは、ASKA容疑者の覚せい剤疑惑を最初に報じた週刊文春だ。2014年5月22日発売号によると、栩内容疑者は、10年ほど前にパソナグループの企業に入り、逮捕されたときは、社長がパソナ出身のメンタルヘルスケア会社「セーフティネット」の社員をしていた。

栩内容疑者は、働くうちに南部代表に目をかけられ、出張に同行するようになった。そして、東京都内にあるグループの迎賓館「仁風林」などで、政財界のVIPが呼ばれたパーティーの接待要員を務めるようにもなった。接待要員は、口の堅い清楚な女性が選ばれ、京都の舞妓出身者もいたという。

一方、ASKA容疑者は、01年8月放送の「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングで、南部代表から届いた花を披露しており、すでにそのころからパソナ側と付き合いがあったらしい。06年1月には、パソナが都内で行った「稲の刈り取り式」のイベントに出席しており、文春によると、仁風林などのパーティーでも歌を披露するようになった。栩内容疑者とは、そこで知り合ったといい、数年前から愛人関係にまで発展していたと報じている。

2人については、週刊新潮の22日発売号でも、詳しく取り上げられ、栩内容疑者は、南部代表の秘書としてパーティーの接待要員を務め、そこでASKA容疑者と出会ったと同様な経緯が書かれている。
パソナ広報「社員ではないので、回答できない」

文春などによると、栩内香澄美容疑者は、パソナの南部靖之代表から異例の厚遇を受けていたという。勤務時間も決まっておらず、東京・南青山の自宅マンションは、借り上げ社宅として提供されていたとも報じられている。

接待などを通じて芸能界に知り合いも多く、ASKA容疑者バックバンドのドラマーとも親しかった。栩内容疑者の自宅近くの飲食店では、ドラマーが栩内容疑者を連れて、元アイドルでギタリストの野村義男さん(50)らと何度か食事していたと報じられている。

栩内容疑者の勤務実態などについて、パソナグループに取材しようとしたが、広報室では、「当社グループ各社の社員ではありませんので、回答することができません」とだけ回答した。南部代表の公式サイトは、2014年5月22日夕現在で閲覧できない状態になっている。

栩内容疑者は、逮捕翌日の18日に弁護士を通じて辞表を提出したとも報じられている。そこで、逮捕時に勤めていたセーフティネットに取材すると、「報道関係の問い合わせが多くて、対応していた者が疲れ切っており、取材はお断りしています」ということだった。
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南部靖之は、兵庫県神戸市出身の企業家であり、
人材派遣会社株式会社「パソナ」創業者である。
株式会社「パソナ」代表取締役グループ代表兼社長、
であると同時に創価学会の信者である。
http://matome.naver.jp/odai/2140067327985921101/2140067586688345203


2012年12月13日

パソナGの吉松さんのグランプリ受賞を祝う  日本人初のミス・インターナショナル

10月に沖縄で開かれた「ミス・インターナショナル世界大会」に出場、日本人初のグランプリを受賞し、「ミス・フォトジェニック」との2冠を手にした吉松育美さん(25)の受賞祝賀会が12日、東京・大手町のパソナグループ本社で開かれ、関係者約200人がお祝いに駆け付けた。吉松さんはパソナグループ社員。

n121213.jpg 吉松さんは、前半はコシノジュンコさんがデザインした赤系の和風コスチュームで登場。後半は世界大会当時と同じ青系ドレスをまとい=写真、参加者との記念撮影などのサービスに務めた。

 吉松さんは、大スクリーンに映し出された写真を使いながら、大会に向けた練習風景や3週間に及んだ沖縄での選考会の模様を解説。世界69カ国・地域から集まったライバルたちとのディベート、地元の人々との交流やパフォーマンスなど、代表たちの一挙手一投足が採点の対象になる“総合審査”であることを説明した。
http://www.advance-news.co.jp/news/2012/12/gno.html

ファレルがlivetune×初音ミクをリミックス! 映像は村上隆

インターネット文化が生んだ人気アーティスト・kzさんのソロユニット・livetuneによる、初音ミクをボーカルに迎えた楽曲「Last Night,Good Night(Re:Daialed)」を、なんとあの世界的HIPHOPスターのファレル・ウィリアムスさんがRemix。5月13日、iTunes Storeなどでの世界配信が開始された。

これは、現代美術家の村上隆さんが初監督を務めた劇場作品『めめめのくらげ』の全米ツアーを記念したもので、同時に、村上さんが総監督を務めたRemix用のMVも公開。

初音ミクはもちろん、ファレルさんやkzさん、さらには村上隆さんがポップなキャラクターになって登場し、村上さんらしい世界観が存分に広がっている。
http://kai-you.net/article/5270

村上隆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%9A%86
ももいろクローバー「GEISAI#15」に緊急参加決定
http://natalie.mu/music/news/45999

2013-09-01
■[music][news]  フィオナ・アップルが東京でのヴィトンのレセプションパーティーでブチ切れ
http://d.hatena.ne.jp/transfiguration/20130901/p1

というのが、昨日・今日の世界各国の音楽ニュースで話題のよう。

(参照) http://www.wwd.com/eye/parties/louis-vuitton-toasts-timeless-muses-in-tokyo-7104070?src=twitter

WWDでの記事。

NMEのウェブでもトップ扱い。

(参照) http://www.nme.com/news/fiona-apple/72370

(参照) http://pitchfork.com/news/52105-fiona-apple-storms-off-stage-curses-out-crowd/

こっちはピッチフォーク。

(参照) http://www.gigwise.com/news/83911/fiona-apple-tells-tokyo-fashion-crowd-to-shut-the-f**k-up

これはgigwise

まぁどれも中身は一緒で、8/29に行なわれた東京でのヴィトンのレセプションパーティー、フィオナはプライベートギグをそこで行なったわけなんだけども、客のお喋りのノイズが余りに煩すぎてブチ切れ、ブザーを押したり黙れコノヤロウ(シャタファカ!)と客席に向かって怒鳴るもそれは一向に収まることなく、結局ライブを頓挫してステージを去ったという件。

日本では唯一ここがニュースにしてたんでそれをはっつけ。

(参照) http://abcdane.net/site/music/2013/08/fiona-LVtokyo-foff.html

ちなみにこれに行ってた有名人は、

(参照) http://beauty.oricon.co.jp/news/trend-culture/2028161/full/

なんで、フィオナファンの人はこれ見ながら「おまえか、おまえもか、おまえらがフィオナをブチぎれさせたんかーーーーー!」と勝手にムカついとこう。なんつって。

ただ、そこまで彼女に詳しくない私でも、彼女のメンヘラ的行動とか、ライブやそれ絡みでの色々とか耳にしたことあるわけで、割とお騒がせキャラなのは有名なはず。なんで主催者は呼んだんだろうなとしか思えない。

ファッションのなんたらパーティとかブランドのレセプションどうたらとか、庶民の私はどんなものかなんて一切知らないし、一生知ることもないけども、日本で有名ブランドがこういう催しでライブやったところで、聴くような態勢になるわけないのは明らかだったろうに。もしライブを組み込むなら我慢強いアーティスト選んどくべきでしょうによ。

いくつかこのヴィトンのレセプションパーティーに行ってた有名人?のブログ見たけど、一切この件について触れてないのが面白いwそもそもライブ自体におしゃべりに夢中で気付いてない人がほとんどだったのかも、フィオナに言及したのは蜷川実花のみということから考えるに。そして彼女も、フィオナも登場してライブを!とか書いておきながら、その後の彼女の奇行に一切触れないのはやっぱりなんだか笑える。

(参照) http://ameblo.jp/ninamika/entry-11602513900.html

もうね誰も見てなかったんだろうなと、本当にライブするような空気じゃなかったんだろうなっていうのがよくわかるだけに、彼女がこれでなんやかや言われてしまったら、不憫だなあさすがに。

コールドプレイの最新作リリースパーティをライヴ・ストリーミング、5/20午前7時〜

http://amass.jp/39829
コールドプレイ(Coldplay)がパフォーマンスも披露するイベントの模様がライヴ・ストリーミングされることに。ロサンゼルスにあるiHeartRadio Theaterにて行われる最新アルバム『Ghost Stories』のリリース・パーティの模様で、当日はパフォーマンスのほか、アルバムについてのQ&Aセッションも行われる予定。この模様は米Yahoo Screenにて生配信される予定。配信は日本時間5月20日(火)午前7時から

コールドプレイが<MTV VMAJ 2014>にライヴアクトとして出演、生配信もあり
コールドプレイ(Coldplay)が<MTV VMAJ 2014>にライヴアクトとして出演決定。6月14日(土)に舞浜アンフィシアターにて行われる授賞式の模様は<MTV VMAJ 2014>の公式サイトにて18時00分より生配信されます。

詳細は以下のURLのページでご覧になれます。
http://gyao.yahoo.co.jp/vmaj2014/

GyaO! wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/GyaO!

2009年9月7日にUSEN運営のGyaOとYahoo!JAPAN運営のYahoo!動画が統合された。
主要株主
株式会社ヤフー58%

yahoo wikipedia
ソフトバンクとの関係[編集]

ヤフー株式会社は、Yahoo!の日本法人だが、筆頭株主はソフトバンクであり、またソフトバンクの持分法適用会社である。会社の時価総額がソフトバンクを上回った時期もあった。そのため"Yahoo!"の商標は、その知名度から提携等の形で、ソフトバンクグループ関連のブロードバンドサービス(Yahoo! BB)、ソフトバンクモバイルのIP接続サービス名(Yahoo!ケータイ)などに使われている。また休刊したインターネット専門雑誌(Yahoo! Internet Guide)等にも使われていた。

関係する人物
孫正義(創立時社長・現会長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%95%E3%83%BC_(%E4%BC%81%E6%A5%AD)

Damon Albarn - Lonely Press Play 天下一品 創価学会 公明党

Damon Albarn - Lonely Press Play (Official Video)
http://www.youtube.com/watch?v=p9MMJgFKv24

公明党元衆院議員・山名靖英に5千万円だまし取られた――「天下一品」木村勉社長が提訴した詐欺事件の全貌

10:01 01/13 2014
佐々木奎一

公明党の山名靖英・元衆院議員

 公明党の候補者を当選させると「功徳が出る」――創価学会員たちは、そう言って選挙活動をする。その結果、政界に送り込まれた公明党議員の代表ともいえる1人が、衆院議員として総務政務官まで務めた山名靖英氏だ。京都を地盤とし、05年に党の定年制で引退したが、昨年4月、詐欺事件で訴えられた。原告は、同じく京都に本店を構える「天一食品商事」の代表取締役社長・木村勉氏。国内外に232店舗を展開する有名ラーメンチェーン「天下一品」を一代で築いた立志伝中の人物である。木村社長は、山名氏とその関連企業から、LEDをめぐる投資話で計5千万円をだまし取られたとして、返金を求めている。近年は公選法をめぐる逮捕者も目立つ公明党運動員。学会員の「功徳」に問題はないのか?事件の全容をお伝えする。(末尾より「公明党議員・運動員の逮捕リスト(2000~2013年)」エクセルダウンロード可)

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公明党に票を入れると「功徳が出る」
 昨年の参院選の選挙特番(テレビ東京系列)で、創価学会・公明党の実態を取り上げていた。それは『池上彰の参院選ライブ』(テレビ東京系列)。そのなかで、創価学会員が、公明党候補を当選させるために選挙運動をすると「功徳が出る」と言っている映像があった。以下の動画の1分36秒頃のシーンだ。

功徳とは仏教用語で、意味は「神仏の恵み。御利益(ごりやく)」(デジタル大辞泉より)、「神仏の果報をうけられるような善行。すぐれた果を招く力を徳としてもっている善の行為。断食、祈祷、喜捨、造仏、写経の類」(日本国語大辞典より)。

 つまり、創価学会員たちにとって、公明党の候補者たちはご利益のある存在で、公明党議員を送り出すことは神聖な宗教行為、ということになる。





公明党候補を当選させるよう選挙活動すると「功徳が出る」と語る創価学会員

 その宗教活動によって当選した公明党議員たちの実態を物語るかのような事件が、昨年4月に明るみに出た。それは、公明党の衆院議員で総務大臣政務官もつとめ、05年に党の定年制により引退した京都が地盤の山名靖英氏が、詐欺事件を起こしたとして訴えられたものだ。

 訴えたのは、ラーメンチェーン店「天下一品」を運営する「天一食品商事」(以下、「天下一品」)の代表取締役社長・木村勉氏。木村氏は、山名氏と山名氏の関連企業に合計5千万円をだまし取られた、そのお金を返してほしい、という趣旨の訴えを13年4月12日、京都地裁に起こしている。

 訴状や準備書面、証拠書類などの裁判資料によると、原告・木村氏の訴えはこうだ。

 発端は07年11月24日。この日、山名氏は、秋谷弘一氏(後述の山名氏の経営する会社の役員)と共に、京都市周辺の店で、木村社長と面会した。天下一品の役員の寺田、西口、竹田、青山氏も同席した。木村氏は、山名氏が国会議員だったころに知己を深め、政界引退後も親交を継続していたのだ。

 その席で、山名氏は、投資話を切り出した。

 それはLEDにまつわる話だった.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。







山名氏が勧誘した投資話の記者発表の内容。上はアイシーイノバHP。真ん中は日経エレクトロニクスデジタル(07年10月16日付)、下は電気新聞(同日付)





2千万円の寄付金受領時に渡した文書の概要。「将来大化けする未公開株」を差し上げます、などと絵空事が書き連ねてある





総代理店契約書。1億円振込むよう記載されている



公明党議員・運動員の逮捕リスト(2000年~2013年)の一部。全リストは記事末尾からエクセルダウンロード可


http://www.mynewsjapan.com/reports/1966

ラーメン店「天下一品」を展開する天一食品商事(大津市)の木村勉社長(78)から、
LED事業への出資金5千万円の返還を求める訴訟を京都地裁に起こされた公明党の元衆院議員、山名靖英氏(69)は
22日、「断じて不法行為はしていない。今後法廷で明らかにしていく」とのコメントを発表した。

 訴状によると木村社長は平成21年、LED事業への出資金として2度にわたり計5千万円を山名氏側に支払った。
その後、事業の信頼性がないとして返還を求めたが、山名氏側から現時点で返還がないという。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130623/waf13062310060002-n1.htm

マスコミが報じない!創価学会系企業のまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133663191140833401/2133663560341180003
天下一品

「高利貸し営業部長」だった極貧「池田大作」の知られざる屈辱人生

投稿者 gataro 日時 2006 年 1 月 02 日 15:15:11)
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/532.html
新「創価学会」を斬る【第7回】
(週刊新潮12月18日号)
 山田直樹
「高利貸し営業部長」だった極貧「池田大作」の知られざる屈辱人生
32歳で創価学会3代会長に就任以来、実に43年。池由大作名誉会長ほと離反者を生み、さまざまな告発を受けた人物はいない。学会員の絶対的な崇拝の対象となる一方で、この人物の特異な人間性は、常に多くの裏切りを生み続けた。今や与党・公明党の事実上のオーナーとして法王の座を手に入れた池田氏。連載第7回は、とうしても触れられたくないその知られざる過去に迫る。

これまで指摘してきたように、創価学会の行動原理・思考形態は、日本の新興宗教団体の中でも極めて特殊と言える。〝教祖様″を絶対視し、崇拝し、その言葉を無批判に受け入れる点は、多くの新興宗教団体と共通しているが、敵対者への強い攻撃性や憎悪は、やはり、この団体の持つ大きな特徴と言っていいだろう。

しかし、これは同時に、「脱会すれば、このようになる」との恐怖を学金員に植えつける、組織を守るための絶大な効果をもたらしてもいる。そのような恐怖と憎悪こそが創価学会(員)のエネルギーを引き出す〝源泉″であり、同時に、「自分たちのしている事は正しい。世間も驚嘆する偉業をなし遂げている」というカタルシスを多くの学会員に抱かせる基となっているのも特色だ。目を輝かせて池田大作氏の偉大さ、素晴らしさを訴える学会員を見ていると、これだけの陶酔感、使命感を多くの学会員にもたらす池田氏のパワーには驚嘆せざるを得ない。

今回は、その池田大作という人物の人間性を解明する中から、学会の根本的な病理を検証したい。

公称550万部の創価学会の機関紙・聖教新聞は、これまでの連載でも触れたように敵対者への口汚い誹謗・中傷記事で溢れている。しかし、もちろんそれだけではない。常に1面を飾るのは、池田大作氏の業績紹介であり、礼賛記事である。

例えば、先月(11月)1ヵ月間の同紙はどうか。この中で、勲章など池田氏の受賞関連の1面トップ記事は実に13にのぼる。名誉博士2件、名誉市民4件、顕彰状・感謝状3件、受賞4件という具合だ。繰り返すが、これはたったひと月の間である。

<ブラジル マイリンケ市SGI会長夫妻を名誉市民に>(3日付)
<人間革命の哲学が21世紀の扉を開いた 台湾各地から池田SGI会長に感謝状>(9日付)
<フィリピン キャピトル大学が決定 池田SGI会長に名誉博士第1号)(11日付)
<カリブ海永遠の美の島ドミニカ SGI会長夫妻に国家賓客称号>(15日付)

……等々である。

12月に入っても、それは変わらない。12月4日付聖教新聞には、

<非暴力 源流の国・インドで大反響 ガンジー・キング・イケダ展>という特大の記事が載っている。これは、アメリカ、パナマ、イギリス、ニュージーランド、ウルグアイなど世界中を巡回している、ガンジーとキング牧師、そして池田大作氏の偉業を称える展覧会の紹介記事だ。その展覧会が当のガンジーの国・インドで開催されたというのである。

敵対者を口汚く罵り、これまで言論出版妨害事件や宗門との激しい抗争を繰り返し、脱会者への徹底した攻撃を行なってきた池田大作氏が、よりによって〝非暴力・不服従″のマハトマ・ガンジーや黒人公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師と肩を並べたという展覧会なのだから、いくら創価学会が後援するイベントとはいえ、鼻白む人は少なくあるまい。

貧困の中の虚と実
日本人の美徳の一つに「恥を知る」 があることは、これまで欧米の文化人類学者が幾度となく指摘してきた。

慎み深さや奥ゆかしさという言葉でもそれは言い換えられるが、しかし、多くの日本人には、毎日毎日、自らが全権を握る機関紙に自分が勲章や名誉称号を受けたことを写真つきで大々的に報じさせ、あるいは世界中でノ「ガンジー・キング・イケダ展」なるものを開催させる池田がどう映るだろうか。少なくとも彼が、その「恥を知る」日本人の特性とは無線な人物であることだけはお分りいただけるだろう。

いずれにせよ、他の宗教団体指導者と最も乖離しているのは、池田氏の異様なまでの勲章へのこだわりや名誉欲、そして自己顕示欲である。それが何に起因するかを知るには、やはり彼の生い立ちから遡らねばなるまい。

池田氏が産声をあげたのは、1928年1月2日。現在の大田区大森北2丁目あたりだ。海苔業者、池田子之吉・一夫婦の第6子(五男)、本名・大作(のち大作と改名)として生を受けた。

頭脳も肉体も取り立てて誇るべき点のなかった池田少年は、極貧の少年・青年期を送っている。

創価学会側が出している『年譜・池田大作』(第三文明社刊、以下『年譜』と略)によれば、7歳頃から、父・子之吉がリューマチで寝込むようになり、この後、家業の海苔作りを手伝い始めたと記述されている。

兄たちの出征でますます貧しくなった池田少年は、午前2時に起床して、海で海苔張り、4時から新開配達、学校が終われば、海苔はがし、夕刊配達、夜は海苔のごみとりといった生活を送る。尋常小卒業後は、後に萩中国民学校と改称される高等小学校に進学、卒業後は、新潟鉄工所に勤務。強制疎開や空襲によるバラック住まいなど、池田家の貧困生活は子沢山だっただけに厳しかったようだ。

地元に残る数少ない小学校時代の同級生によると、「昭和17年に萩中国民学校を卒業する時、池田君は4組にいました。彼はとにかく印象のない男だったね。勉強も目立たないし、身体も強くない。それに海苔漁師はみんな貧乏だった。彼の家はたしか分家で、生活は特に苦しかったはずです。後で創価学会会長があの池田だなんていう話になって、みんな驚いたものですよ」

戦争が終わっても、池田青年の極貧生活は変わらかった。

その貧しさは、まだ2代会長戸田城聖氏の弟子時代の池田青年が、東大の宗教学者・小口偉一氏に答えたインタビューでも窺える。

<小学校では栄養不良で三・四回も死にそこない、がんらい身体が非常に弱かったんです。終戦の年には六回目の肋膜をしていましたし、肛門性もので、耳や鼻などみんな悪く、血痰がでてたんです。(略)三年目の八月に戸田さんの出版に小僧から入りました。信用組合にも入っていたんですが、給与もなく乞食同然で苦しくてしかたなかったんです。(略)信仰しなかったならば二三くらいで死んだだろうといわれています)(56年・『新心理学講座4宗教と信仰の心理学』)

当時、池田氏が住んでいたアパート、青葉荘の元管理人(78)が述懐する。「池田さんは、ここに住んでいました。当時、アパートはコの字型に3棟ありましてね、その一つの東向きの4畳半に住んでましたよ。結核で一時期酷かったようです。祖母が熱にうなされる池田さんに薬を持っていったこともあるそうです。冬の寒い日、熱があるので、池田さんが窓を開けて、鏡だけそこから出して寝ていたこともあったと開きました。当時すでに宗教に人っていて、経を唱える声が大きくて注意したこともあったようです」

極貧の上、結核にまで侵されているのでは、その生活の悲惨さは想像を絶するものだっただろう。

ジャーナリストの溝口敦氏は、『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』で、

<ふつう新興宗教に入信する動機は、一口に病・貧・争といわれるが、池田はそのすべてを体験したわけである>と指摘しているが、池田氏の特異な人間性は、こういったどん底の環境の中で形づくられたと思われる。

先の『年譜』は、池田氏と創価学会の出会いを以下のように記している。

<47年(19歳) 8月14日 小学校時代の同級生に誘われ、創価学会の座談会に、「協友会」の友人二人を伴って出席(蒲田・三宅ゆたか宅)。戸田城聖と出会>)

この時、池田氏は、戸田の人柄に感銘して突然立ち上がり、こう述べたという。

「先生が、青年らしく勉強し、実践してごらんと、おっしゃったことを信じて、先生について、勉強させていただきます」

さらに、即興詩を披露して感謝の意を表したことになっている。

これは、学会・池田氏の「正史」だが、池田氏の貧困からの脱出ストーリー、学会への入信、さらに現在に至るサクセス物語には、しばしば手が入れられ、美談に仕立て上げられている。実は、この戸田氏との出会いも虚偽である。

ここに登場する三宅宅での出会いを詳細に語りうる人物がいる。その家の娘・三宅妙子さんだ。三宅さんは父親が地元・蒲田の支部長を務め、しばしば自宅で座談会が開かれていた。そこには多くの信者が集った。池田青年は確かに妙子さんの姉が誘ってきた3人の小学校時代の同級生の〕人として、座談会に現れてはいる。が、「いま創価学会で言われているような、池田と戸田先生の伝説的な出会いはそこではありませんでした」と妙子さんはいう。

「『人間革命』や学会の書物には、美化された出会いが描かれていますが、その日、我が家には戸田先生はいらっしゃらなかったのです。もちろん、池田は詩も詠んでいませんでしたよ。彼は我が家に来てから、10日後に入信します。私は池田にデートに誘われ、日比谷に映画を見に行ったこともあるので、当時のことはよく覚えています。あの頃の池田は、〝今に見ていて下さい、僕のこれからを見て下さい″と、よく言っていました。上昇志向が非常に強い人でした」

金融取り立てで辣腕
創価学会に入信し、戸田と出会った池田氏は、やがて権力への階段を駆け上がっていく。

上の名刺と写真をご覧いただきたい。大蔵商事 - 現在の池田氏を語る上で、避けて通ることのできないキーワードである。当時、戸田が自分の愛人らを役員に据え、小口金融、今でいう消費者金融の大蔵商事を設立、ここでメキメキ頭角を現したのが池田氏だったのだ。池田氏は、この大蔵商事営業部長という職をきっかけに一気にそれまでの貧困から抜け出し、創価学会第3代会長への道を実き進み始めるのである。

創価学会元教学部長の原島嵩氏が振り返る。「大蔵商事というのは、今のサラ金の原型とでもいうものです。利回りがいいという売り文句で資金調達をし、それを貸し付ける。貸付先の多くは個人、会社もあったようですが、いずれにしても学会員たちでした。彼はそこで、資金調達や取立てに殊腕を振るい、やがて学会を資金面で牛耳っていったわけです」

どの世界でも、財布の紐を握るものは一番強い。

小川頼宣・創価学会本部元広報部副部長がいう。「戸田城聖第2代会長は金の面は自分で何とかしようとして、大蔵商事など金貸しや信用金庫などを随分とやったんです。その尻拭いと言うか、酷な言い方をすれば金貸しの手代をしていたのが池田大作です。彼も当初は好きでやっていたわけではないと思うのですよ。しかし、彼には才能があったようで、池田が〝ここ金あるよ″という家には、見た目は貧乏な家でも必ず金があった、ということを古参の幹部から開きました。逆に門構えの立派な家の前で〝ここはどうだ?″なんて聞いても、池田が〝ここにはない″と言えば、その通りだったそうです」

先の池田氏の小学校時代の同級生は、大蔵商事に入った頃の池田氏をこう語る。「昭和25年に池上でやった最初の同窓会に現れた時だったな。あの時のことは今でも忘れられない。昭和17年卒業組は今昔会という同窓会を開くんだけど、その時、池田は遅刻してきた。同窓会に顔を出したのは後にも先にもその時だけだよ。遅刻してきたのに、恩師に挨拶もせずに、どっかりと席をおろして、いきなり演説を始めたんだ。大きな声で。みんな驚いたよ。遅刻してきたのに、いきなりですからね。ひとしきり自分の話が終わったら、初めて〝おっ先生、元気か″なんて片手をあげた。田中角栄みたいなあれだよ。目立たないだけのあの男が、いつの間にかそういう尊大さを身につけていたんだ」

大蔵商事時代の彼が、水を得た魚のごとく活き活きとし、さらに周囲が驚くほどの尊大さを身につけ始めたのは注目に値する。

やがて戸田から信頼を得た池田氏は本部の青年部を経て、参謀室長に抜擢されることになる。池田氏は後に、大蔵商事時代について、こんな発言を残している。

「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った。鶴見で、まったく未開の所へ地盤をつくりながら、同時に学会員を起してきた。私は何もないところから闘った。当時は戸田先生が世界一だと云っても通用しない。本当に苦戦の連続であった」

「戸田先生は葉っぱを御札にする。本当にする。そうしなければ広宣流布は出来ない。必ずそうする。広宣流布の為ならば葉っぱを札にしてみせる、.と云う戸田先生のきょう信が今日の学会を築いた。それだけにきびしかった。学会はこの精神を忘れてはならない」(いずれも68年2月10日の『社長会』にて)

この高利貸し時代は、あらゆる面において、今の池田氏をつくる基となったことは間違いない。

そして58年4月、肝臓と糖尿が悪化して戸田が鬼籍に入った後、池田氏は権力闘争に勝ち抜き、60年5月、第3代創価学会会長に上り詰めるのである。

池田氏はよほどこの大蔵商事時代に触れられたくないのか、先の『年譜』でも、<・50年(22歳) 11月27日 この年の秋より戸田城聖を顧問として営業を開始していた大蔵商事の営業部長となる>と、簡単な記述があるのみだ。

やはり、「消費者金融の営業部長」の肩書は、「池田博士」 にはあってはならないものなのだろう。

怨念とコンプレックス
長い長い池田氏の人生を語るにはとても紙幅が足りないが、彼の人生を振り返ると少年・青年期の貧困や病気、そして学歴へのコンプレックスや怨念が権力を手中にした途端、それまでの鬱憤を晴らすかのように一気に解き放たれたように思えてならない。

会長就任の5年後、37歳の池田会長にインタビューした評論家・高瀬広居氏の『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』(65年)の一節は興味深い。

<池田会長は、モダンな本部応接室のアームチェア一にアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気でいった。

「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」

同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ>

何年か前までは、拭い難いコンプレックスの只中にいた青年が、短期間にこれだけの言葉を吐くほど変貌したことに驚くのは、筆者だけではあるまい。そして同時にこの37歳という年齢で、すでに池田氏を諌める人物もいなくなったのは、学会にとってだけでなく、池田氏本人にとっても不幸なことだったに違いない。

池田氏、そしてその周囲は、その後、〝池田神格化″のために、滑稽なまでにあらゆる手を講じるようになるのである。

元学会幹部の解説では、「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら〝久しぶりだな″と呟くエピソードがあります。池田先生は700年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる。きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢400年だったそうです」

また、池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女子部員たちは感激で、涙、涙なのだという。「池田が訪れる会場周辺の花を咲かせるという古典的な演出もあります。期日に合わせ、地元の人が何週間も前からドライヤーで花の蕾を温めるのです。多くの会員が梯子を持ち出して延々とその作業を行い、見事、満開の桜を咲かせたこともあります。先生のお陰で一夜にして桜が咲いた、というわけです。池田は〝見事だ。よくやったね″と満足気に言い、それを開いて会員達はまた涙を流すのです。魚など1匹もいないドブ他に事前に鯉を放流して池田に餌を撒かせ、〝ここには魚はいないのに、先生が餌付けすると蝕まで現れてしまった″と会員達を感激させた例もあります」(同)

冒頭にも触れた異常な勲章や博士号のコレクターぶりといい、池田氏がここまで自分を神格化する根本は一体なんなのか。

前出の原島嵩氏によれば、「やはり根底にあるのは池田のコンプレックスでしょう。例えば、彼の学歴は富士短大中退です。しかし、20年近く経ってから、卒論を桐村という教学部の幹部に書かせてまで卒業しました。幹部には東大卒や早慶卒なども多いのですが、彼らを前にして 〝お前たち、馬鹿だろう″などといっては〝はい″と答えさせ、悦にいっていましたね。最高学府を出た人たちをひれ伏させることに彼は喜びを感じるわけです。そしてもう一つは、権力へのコンプレックスです。彼は57年の参院補選で選挙違反で逮捕(大阪事件)されたわけですが、この時に権力の恐ろしさを学び、復讐を誓い、それが今の行動につながっているのだと思います」

こうして独裁者となった池田は、折々にこんな発言を残すようになる。

「今の政治家は、やれ勲章を貰うとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金儲けをするとか、めちやくちやな世界であります。私ども創価学会員は、位もいらない、有名でなくともよに、大臣もいらない、また権力もいらない」(63年8月3日付、聖教新聞)

「勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。(中略)反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ」(埼玉指導 89年3月12日)

「2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。(略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」(94年9月2日付、聖教新聞)

「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(96年11月3日 『創価同窓の集い』にて)

その言葉の激しさには、やはり驚嘆させられる。創価学会が持つ、敵対者への激しい憎悪や復讐心は、彼の屈折した半生から出てきたものと思わざるをえないのだ。

日本支配の欲望
「彼特有の他人や敵への異常な攻撃性というのは、持って生まれた性格の他に自身の極貧、病弱体質、能力の凡庸さへのコンプレックスからくる世間への怨念が影響していると思います」

というのは、ジャーナリストの乙骨正生氏だ。

「池田氏は口癖のように〝自分は戸田先生の復讐のために立ち上がった″〝師である自分が迫害された時は、自分の仇を討ってくれ″と言いますが、これは自分を認めようとしない世間への強い恨みに満ちたものだと思います。海外から何百という勲章をもらおうと、池田氏をよく知る日本では、静岡の富士宮市の名誉市民以外、なんの称号ももらえないのです。海外の大学から名誉教授の肩書をもらい、様々な勲章をもらって悦にいっているのは、いまだにそのコンプレックスを克服できない証拠ではないでしょうか」

宗教学者の山崎龍明氏(武蔵野大学教授)も、やはりコンプレックスをキーワードに、こう総括する。

「オウムの麻原もそうでしたが、私もやはり池田氏を考える場合にこの言葉が第一に浮かびます。大森海岸の海苔屋に生まれ、学歴もない彼が、社会的に認知されている人をコントロールできる快感を覚えたのではないでしょうか。彼らの共通点はエリートを支配することに喜びを感じることです。池田さんは実は非常に小心で、自信のない人だと思います。自信あるリーダーというのは、相手を一方的に支配しようとはしません。気が小さいからこそ、怖いのです。しかし、問題はそのリーダーに率いられ、肥大化した集団が信者どころか、日本全体を支配しようとしていることです。宗教、教団が持っている暴力性、.排他性、差別性というものは物凄く強い。ヨーロッパの歴史を見れば分ると思いますが、肥大化したこういう集団を動かした時には無限の力が働き、人間一人一人を蹂躙していくことは歴史が証明しています。排他、除外というものは、宗教によって美化されます。普通の組織、政治とは違った、宗教自身の持つ恐ろしさを忘れてはなりません」

日本人は、この特異な人間性を持つ人物にわが国の将来を託すのだろうか。それは果して国民の総意なのだろうか。

衆院でわずか34議席をとるだけの政党と、その事実上のオーナー・池田大作氏に国の政策を壟断されることを容認するとしたら、それは民主主義の放棄に等しい行為なのではないか。

次回は、この特異なカサスマが亡き後、この巨大教団がどこへ進むのか、その将来を検証してみたい。(次号につづく)



星野康二氏 wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%BA%B7%E4%BA%8C
星野 康二(ほしの こうじ、1956年5月7日 - )は、日本の実業家。学位はMBA(ニューヨーク州立大学)。株式会社スタジオジブリ代表取締役社長、株式会社ドワンゴ社外取締役、財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。

ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社代表取締役社長(初代)などを歴任した。
1956年、北海道札幌市に生まれる。

北海道札幌旭丘高等学校を経て、創価大学文学部に入学する。入学後、「池田大作に対する、不当な非難・中傷の嵐が吹き荒れる」[1]と感じた星野は「必ずや池田大作の偉大さを証明してみせる! 国際社会で戦える力ある人材に成長しよう!」[1]と決意したとされる。在学中にアリゾナ大学への留学を経験し、卒業後は再度アメリカに渡り、ニューヨーク州立大学オルバニービジネススクールにてMBAを取得する。帰国後、創価大学の後輩だった女性と結婚する[1]。

ウォルト・ディズニー・カンパニー[編集]

アメリカの建材メーカーやアルプス電気の子会社「アルパイン」を経て、ウォルト・ディズニー・カンパニーグループに移る。各部門にて管理職を務めた後、ブエナビスタホームエンターテイメント日本代表、ウォルト・ディズニー・インターナショナル執行副社長を歴任した。ウォルト・ディズニー・インターナショナルの「シニアバイスプレジデント」に就任したのは星野が日本人で初めてだとされる[2]。その後、ウォルト・ディズニー・ジャパンにて初代社長となり、社長退任後は会長に就いた。

スタジオジブリ[編集]

ブエナビスタホームエンターテイメントがスタジオジブリ作品のビデオ販売を担当するなど、スタジオジブリとは業務にて関わる機会が多かった。2008年、スタジオジブリ社長の鈴木敏夫から後継者として指名されたため、ウォルト・ディズニー・ジャパン会長を退き、2代目スタジオジブリ社長に就任した。スタジオの運営に関して「“稼ぐ”という部分、経営面では変化していくだろうが、創作集団としてのジブリは変わらないし、鈴木さんがこれまで作ってきた環境を壊さない」[3]と表明しつつ「変わらないためにこそ、変化を恐れずにいたい。映画はもちろん、DVD、ビデオ、出版など、刻々と変わる業界の状況にも常に対応できるようにしたい」[4]としている。経営に関しては、ウォルト・ディズニー・カンパニーとスタジオジブリの規模の違いを指摘し「世界的な基準で会計の分析などをしても意味がない」[4]と評し「ディズニーとは逆のことをしなければならない」[4]と語っている。

人物[編集]

母校への思い入れは強く、「創価教育同窓の集い」にて「創立者池田先生、そして創価同窓の皆さんに、勝利の報告をさせていただけることは、最高の誉れ」[1]と語っている。「どんな時でもくさらず、前向きに『きっと池田大作にお応えする人材になるんだ。』」[2]をモットーとしている。また、星野の情熱の原点は「池田大作と出会い『師の偉大さを証明しよう! 国際社会で活躍する人に!』と決めたこと」[5]と語っている。一見すると順風満帆な人生だが、挫折を感じた際は「くじけそうになる度に、池田大作の著書を読み返した」[6]と述べている。

顕彰[編集]

創価大学に対する星野の寄附金を元に「星野基金」が運営されている[2]。

ユニクロ これは軍隊以上だ


ココで働け取材班





2011年3月に新卒入社、2012年7月に退職。3年前の就職活動を振り返り、「内定した頃は、けっこうユニクロのイメージはよかった」と話す。「新しいことをやっていける、世界進出して活躍できる、と。世のなか元気がない会社ばかりの中で、夢を見させてくれたのはユニクロだけでした。」


 就活が佳境に入る2~3月。今回は、2011年に入社して半年後に店長に昇格というトップキャリアを歩みながらも、激務からうつ病を患い翌8月には辞めざるをえなくなるという、ユニクロで最も一般的なパターンで会社を去った元社員(24歳)に、2010年の新卒採用から内定、入社前後の研修について聞いた。合宿2回を含む5回の内定者研修は「半年で店長になるために必要なことを理解する」等が目的に掲げられ、入社前研修の域を超えたものだが、賃金の支払いがないため会社にとって都合がよい。挙手の角度まで決められる研修の厳しさについて、徴兵制の国からやってきた外国人エリートは、「自分は軍隊に行ったが、それ以上だ」と呆れるのだという。

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【Digest】
◇「ユニクロのコンサルになったら」で議論
◇半数は無名大からも採る
◇超エリートの外国人「グローバルURC」
◇合宿で経営理念23か条を一言一句暗記
◇入社後の話にドン引き、入社辞退する内定者が10人以上
◇「これは軍隊以上だ」と外国人社員
◇内定者AL(アルバイト)はやるべきか
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 僕は3月に試験を受けて、内定したのが2010年5月4日。これで中盤くらいでした。早い人は4月内定、遅い人は6月以降。300人の大量採用なので、「書類審査→面接→内定」の流れを、並行していくつも進めていました。
 もともとCM制作に興味があり、広告代理店を回っていましたが、大手の選考で縁がなく、「新しいことができそう」という軸で探し、2010年3月にユニクロの説明会に参加したのがきっかけです。アパレルという切り口で活動していたわけではないので、アパレル業界はユニクロしか受けていません。

◇「あなたはユニクロのコンサルになりました」で議論
 第一次の書類審査は、「テストセンター」(リクルートが運営するアウトソーシングされた適性検査の一種)の結果に、大学名を加味して、切る人を決めているようでした。第二次の書類審査は、ウェブ上で志望理由書を書いてエントリーし、SPIテストを受け、これに通ると、一次面接に進めます。

【一次面接】1回目は、1:1。当日もっていく「A3」くらいの紙に、自己PRを書きます。面接官はSV以上か、スター店長。つまり「S4」以上、または「S3のS4候補者」です。

 そして、グループディスカッション。人事1人:候補者6人でした。使い古しのコピー用紙があり、「これを使って、高く積み上げて下さい。破ったり、切ったりしてはいけないけれど、折るのはOKで、優秀なグループは高く積み上げられます、時間は15分くらいで」という内容。

 人事によると、これは、リーダーシップ、協調性、アイデア力などを見ているのですが、特に評価されるのは、分業して進めることと、最後のほうでより良いアイデアが出たときに、どんでん返しをしてでも、やり直した場合だそうです。

 「空気を読まずに、新しい発案ができる人がよい」と。途中で崩してしまうことになったとしても、より良い方法を提案できる力、が評価されます。採用基準は明確で、人事+柳井社長で、7つくらいを決めたらしい。

【二次面接】2回目は、再び、グループディスカッション。人事が見ているなかで進められ、4~5人の円卓でやります。テーマは、「ユニクロが世界一になるために何が必要か」でした。

【三次面接】3回目は、インターンシップ。店舗で2日+本部で1日。バックヤードで店長が、ものすごい速さで商品の袋剥きをするワザを披露したり、「今日発売なんだよ」などと新商品を見せて、ワクワクさせます。

 そして店裏で、「あなたはユニクロのコンサルになりました。これからコンサルとして店をまわって貰って、気づきや改善点を見つけて、店長と議論しましょう」と。その議論はSVも見ています。昼飯も一緒に食べます。

 本部では、ミッドタウンの34Fで、今後の戦略の説明を聞いて、「あなたが達成したいことは何かを書いてください」と言われ、グループ内で発表します。

【最終面接】最終面接は、部長以上との、1:1。30分ほど、志望理由、やりたいことなど、オーソドックスな内容でした。





「世界一のカジュアル企業となる日まで共に成長し…」と建前は立派だが、健康を害して、大半の新人が辞めざるをえなくなってしまうのが実情。
 


◇半数は無名大からも採る
 僕の最終面接担当は、一部の社員らから冗談で“ユニクロのテポドン”と恐れられていた若林さん(営業リーダー)というかたでしたが、この最終面接では、たまにサプライズで柳井社長が出てくることがあり、柳井社長が欲しいと思った人は「キミ内定だから」と、その場で握手だそうです。

 自分の場合は、1週間後に、慶應OBの担当者から、電話で伝えられました。大学別に担当を分けているんです。多い順に、30人慶応、20人早稲田、15人東大。全体で300人が内定、とのことでした。

 偏差値で言うと、上の150人くらいまでが、いわゆる有名大出身者。下の150人は、どこか分からない、聞いたこともない大学もたくさん混じっていて、大学名を無視して、人物だけを見て採用している感じでした。

◇超エリートの外国人「グローバルURC」
 この300人が「URC」(Uniqlo Rookies Campaign)と呼ばれる国内組です。それとは別枠で、「グローバルURC」がいます。これは、中国や韓国のトップ大卒などを集めた精鋭の超エリートたちで、だいたい3か国語を話せて.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。







入社前研修の全体像とスケジュール





配属辞令。大げさながら全員に紙が渡される。

http://www.mynewsjapan.com/reports/1776

ユニクロ過重労働社会の闇

http://www.mynewsjapan.com/projects/68

ユニクロ、「入社3年内離職率」46.2%を開示

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09:13 03/05 2013

渡邉正裕





週刊東洋経済2013/3/9号


 ユニクロの新卒採用者のうち、3年以内に辞める人数が、直近4カ年の平均で46.2%にものぼることが、『週刊東洋経済』(2013年3月9日号)の取材ではじめて明らかになった。昨年5月に掲載し10万アクセス近くを集め話題を呼んだ『ユニクロ「離職率3年で5割、5年で8割超」の人材“排出”企業』の核心的事実が、改めて正確に裏付けられた。

 ユニクロはこれまで「新卒採用者の3年以内離職率」について、『就職四季報』(東洋経済新報社)の取材に対し、2005年を最後に開示を拒んできた。開示するとまともな学生に逃げられるとの後ろめたい思惑から、と考えられる。

 ところが今回は、開示しないとネガティブな報道となることは避けられないと考えたのか、2007年入社以降の離職率をはじめて開示した。以下の通りである。



2007年3月入社 37.9%
2008年3月入社 46.3%
2009年3月入社 53.0%
2010年3月入社 47.4%(同期は200人)
2011年3月入社 41.6%(同期は300人)
(※2011年入社は入社後2年内、その他は3年内)







離職率についての記事部分

 2007年入社~2010年入社の単純平均では46.2%となる。同社の離職パターンとしては、精神的な病から半年程度の休職期間をへて退職に追い込まれるケースが多いため(実際にそのパターンで辞めることになった社員・元社員を3名取材し証言を得ている)、この46.2%に、離職同然で休職している人数も加えると、ちょうど50%を超えるくらいだ。

◇「第3の矢」だった
 もともと、ユニクロの違法性が高い「疲弊する職場」を報道したパイオニアは、ジャーナリストの横田増生氏だ。『週刊文春』で何度か報じた後、2011年3月に『ユニクロ帝国の光と影』という単行本として発表された。内容は至極まっとうなジャーナリズムの王道とも言えるもので、今回の『週刊東洋経済』記事と同様、長時間のサービス残業などで疲弊する現場実態も指摘されている。

 韓国語版も発売されるなど話題となったが、ユニクロ側は日韓で出版差し止め訴訟まで起こし、日本では2億2千万円の損害賠償を求める名誉棄損訴訟を起こした。横田氏は訴訟で莫大な時間を奪われ苦しんでおり、私もユニクロ関係者の紹介などで敗訴とならないよう支援している。

 この文春訴訟の効果はてきめんで、同社の『週刊文春』『文藝春秋』はそれまで断続的に浜矩子教授による「ユニクロ型デフレ不況」などのネガティブな記事も掲載していたが、訴訟を期に、完全にユニクロ報道から撤退してしまった。

 朝日新聞は『AERA』表紙に柳井社長を登場させ、ユニクロから新聞の全面広告を大量に獲得。朝日新書の『柳井正の希望を持とう』を「6万部刷って4万部はユニクロ買い取り」という、リスクゼロでボロ儲けの好条件で発売させて貰うなど、いいようにユニクロに飼いならされている。出版不況のなか、マスコミはユニクロの広告宣伝費を喉から手が出るほどほしいから、朝日がユニクロの問題を積極的に報道することは、ほぼ無理だ。

 労働相談を受けているらしい『POSSE』といったNPOも、ユニクロ社員から現場の実態についての相談を受けているが、公表するリポートや本にはユニクロの「ユ」の字も出さない。客観的に見れば、訴訟に発展するブラックな内容を水際で食い止めて不満をガス抜きしてくれる便利な“ブラック企業支援団体”と言える。社名が出ないならユニクロの評判への影響が皆無なので、労働環境の改善には全くつながらない。





私が書いた記事に対するユニクロからの脅し文書

 こうして、文春の訴訟後に残されたジャーナリズムはうちだけとなり、『ユニクロ、過重労働社会の闇』という連載企画を展開した。月刊誌でもリポートは発表したが、文春の件で味を占めたユニクロは、訴訟を起こすことをチラつかせ、口封じのための脅し目的とみられる「通告書」を編集部に送ってきた(2012年6月)。

 結果、『ZAITEN』誌上で続報を打てなくなった。これは中小出版社としては倒産リスク回避のため致し方ない。ユニクロとは財力が違いすぎるのだ。

 つまり、これまで筆者としてユニクロ問題を書いたのは横田さんと渡邉だけだった。よって、今回の記事は「第3の矢」として、貴重なのである。

◇続報&広告に注目
 広告宣伝費による支配と高額嫌がらせ訴訟(SLAPP)によって、企業としてのマスコミが手を出しにくい構造なのは分かるが、ときには職業的使命感からやって貰わないと、言論・報道の自由は守れない。実際、1本で約10万アクセスと記事も読まれ、ニーズはある。

 言うまでもなく、ユニクロ問題は「企業側と学生側の情報ギャップ」「名ばかり管理職」「サービス残業」「鬱や過労死を生みだす労使関係」「転職市場の未整備」といった日本の労働環境のアジェンダが凝縮されており、ジャーナリズムが積極的に扱うべきテーマであるが、ウェブメディアの孤軍奮闘には影響力に限界がある。

 というわけで、「特集でやれば完売、増刷ですよ」と、元から知っていた編集長と記者にプッシュして、蕎麦屋で情報提供者のかたを引き合わせて取材が始まったのが、今回の東洋経済記事だった。特集にはならなかったものの、9ページの中型企画で、思ったよりも踏み込んだ表現になった。僕も文中でコメント協力している。

 これまでのユニクロの姿勢から判断すると、おそらく通告書が東洋経済の編集部に来るだろう。ユニクロは、それで続報をストップできると考えている。

 したがって、続報を打てるか、がポイントとなる。また、巨額の宣伝広告を東洋経済に投入して懐柔に入る可能性もある。続報と広告。この2点をウォッチしていただきたい。なお、弊社は何のしがらみもないジャーナリズムメディアなので、そこに問題がある限り、引き続き淡々と報道を続ける。関係者からの情報提供をお待ちしている。

.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。




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