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相模原遺棄:「犬の死骸埋めた」と案内…逮捕の元交際相手

http://mainichi.jp/select/news/20150627k0000e040184000c.html
毎日新聞 2015年06月27日 11時52分(最終更新 06月27日 15時29分)
東京都新宿区の阿部由香利さん(当時25歳)の遺体が見つかった事件に絡み、秋山智咲容疑者(23)=死体遺棄容疑で逮捕=が住んでいたマンションで異臭騒ぎがあった際、佐藤一麿容疑者(29)=同=と秋山容疑者が「犬が死んだ」と警察官に説明したうえで、「死骸の捨て場所」に案内していたことがわかった。犬の死骸は見つからず、警視庁捜査1課は阿部さんの遺体が室内にあったことを隠すため、口裏合わせをした可能性があるとみている。

 警視庁によると、両容疑者は2013年7月19日ごろ、阿部さんの遺体を世田谷区の秋山容疑者宅マンションから相模原市に運び、遺棄したとされる。同20日の夜、マンションの管理会社から北沢署に「異臭がする」と通報があり、警察官が訪問。室内の床に血痕のようなものがあるのを見つけた。
 この時、警察官が事情を聴いたところ、佐藤容疑者は「飼っていた犬2匹が6月中旬に死に、放置したら異臭がした」と説明。秋山容疑者も「犬が死んだ」と話したという。
 「犬の死骸は19日に町田市に埋めた」とも話したため、同署は両容疑者を立ち会わせて町田市の山中を捜索したが、死骸は見つからなかった。一方、血痕状のものは鑑定で人間の血液とは認められず、同署は事件性はないと判断したという。【山崎征克】

2015.6.28 05:00更新 【新宿母子不明】産経ニュース
マンションに遺体1カ月以上放置か 遺棄前後に墓地訪問
http://www.sankei.com/affairs/news/150628/afr1506280002-n1.html
相模原市の墓地で職業不詳、阿部由香利さん=当時(25)=の遺体が見つかった事件で、佐藤一麿(かずまろ)容疑者(29)=死体遺棄容疑で逮捕=らが、秋山智咲容疑者(23)=同=のマンションに遺体を1カ月以上放置していたとみられることが27日、捜査関係者への取材で分かった。このため異臭騒ぎになり警察官も出動していた。一方、佐藤容疑者が遺体を埋める前と後に墓地を訪れていたとみられることも判明。下見や掘り起こされていないかの確認のためだったとみられ、犯行には場当たり的姿勢と慎重さとがみられる。佐藤容疑者らは平成25年7月19日ごろ、阿部さんの遺体を秋山容疑者のマンションから墓地に運び、埋めたとして逮捕された。

 捜査関係者によると、マンションでは同20日夕、異臭がすると連絡があり、警察官が出動。当時、部屋に誰もいなかったが、佐藤容疑者が途中で帰宅。外出していた秋山容疑者も呼び戻し、2人から事情を聴いた。
佐藤容疑者は「飼っていた犬2匹が6月中旬に死んだ。7月19日に町田市の山に捨てた」と説明。秋山容疑者は「彼が犬をもらってきた。死んでからはどうしていいか分からず、放置していた」と話したという。

 警視庁捜査1課は、「犬」は阿部さんの遺体で、遅くとも6月中旬にはマンション室内に置かれていたとみている。マンションのエレベーターの防犯カメラには7月19日、ブルーシートに包まれたものを台車に乗せて運び出す佐藤容疑者らの姿が写っていた。異臭騒ぎの前日で、1日遅れれば遺体が発見される可能性もあった。
 佐藤容疑者らは遺体をレンタカーで相模原市内の墓地に運んだとみられる。捜査関係者によると、遺棄の前に複数回、佐藤容疑者らが乗った車が高速道路で墓地近くの相模湖方面に向かった形跡があったほか、目撃情報などから、遺棄後も墓地を訪れていたとみられることが分かった。
捜査1課は、佐藤容疑者が遺体を埋めた場所の様子を確認するために訪れたとみている。また、相模原市の墓地の前に町田市の山林にも立ち寄っていたとみられ、車で場所を物色していた可能性が高い。阿部さんの長男=阿部さんの失踪当時(7)=の行方は不明のまま。今月24~26日の墓地の捜索で手がかりは得られず一度打ち切ったが、捜査1課は捜索範囲の拡大を検討している。長男は小学校に入学した形跡がなく、健康診断の受診記録も乳児期以降はない。最後に生存が確認できたのは、都内の祖父母宅に一時住んでいた平成19年9月だった。
 佐藤容疑者は「墓地には阿部さんの遺体だけを埋めた」などと供述。秋山容疑者も長男の所在について「知らない」などとしている。捜査1課は、佐藤容疑者と阿部さんの当時の交際状況を調べるなど、長男の行方につながる情報を集める方針だ。

墓地に不明女性の遺体か、遺棄容疑で元交際相手の男ら逮捕
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2525372.html
TBS news i (25日17:29)
神奈川県の墓地で行方不明になっていた20代の女性とみられる遺体が見つかり、警視庁は、交際していた男らを、死体遺棄の疑いで逮捕しました。
 「警視庁の鑑識の車が集まっています」(記者)
 先週木曜日の午後。東京・八王子市の中央高速道路石川パーキングエリアに集まる警視庁の捜査車両をJNNのカメラが捉えていました。捜査員を乗せた車は、一路神奈川県の相模湖方面へ。
 新宿区に住む当時25歳の女性と7歳の長男が行方不明になってからおよそ2年。捜査は急展開しようとしていました。
 木々の間から見えるブルーシート。24日午後9時ごろ、神奈川県相模原市内の墓地で、土の中から成人のものとみられる頭の部分が見つかりました。
 その遺体を埋めたとして逮捕されたのが、東京・渋谷区のアルバイト従業員、佐藤一麿容疑者(29)と、静岡県の農業、秋山智咲容疑者(23)です。2人はおととし7月、遺体を世田谷区から相模原市緑区まで運び、穴を掘って埋めた疑いが持たれています。
 警視庁は、この遺体がおよそ2年前から行方不明になっている当時25歳の女性とみて、DNA型鑑定を進め、身元の確認を急いでいます。
 「逮捕された佐藤容疑者と秋山容疑者は取り調べに対して容疑を認めているということです。行方不明となった20代女性との間に一体何があったのでしょうか」(記者)
 東京・新宿区に住む当時25歳の女性が、こつ然と姿を消したのはおよそ2年前。当時7歳の長男も、ともに行方がわからなくなりました。去年12月には女性の父親が、警視庁に行方不明者届を出し、捜査が始まったのです。
 そして、事件への関与が浮上したのが、当時、女性と交際していた佐藤容疑者でした。佐藤容疑者はこの頃、秋山容疑者とも同時に交際していたとみられているのです。
 おととし7月、佐藤容疑者と秋山容疑者は、遺体を、当時、秋山容疑者の自宅があった東京・世田谷区からおよそ50キロ離れた神奈川県相模原市緑区の遺棄現場へとレンタカーで運んだものとみられています。
 「遺体が発見された現場はここから距離にしておよそ30メートルほど斜面を下った中腹にある墓地です。そこに行くためには、ここから下るか、もしくは下にある駐車場からのぼってくるか、その2つのルートがあるということです」(記者)
 「昼間はみんな畑に来るから分かるけど、夜はほとんど畑に来る人もいないし、ここを通る人もいない」(地元の人)
 「午後3時前です。警視庁の捜査員が捜索のために現場に入ります」
 25日午後からは行方不明になっている長男(当時7)の捜索も開始。東京・渋谷区では佐藤容疑者の自宅を家宅捜索しました。飲食店のアルバイト従業員で、容疑を認めているという佐藤容疑者。一体どんな人物なのでしょうか。
 「ちょっと変わった感じの人で小学校一緒だったが、怖いなというイメージがあった」(佐藤容疑者を知る人)
 「毎日スーツ着て、必ず携帯で話してて、内容が『エグザイルがどう』とか。テレビ局関係のような仕事をしているのかと思っていて、謎めいた人だった」(佐藤容疑者を知る人)
 一方、静岡県富士市に住む秋山容疑者。近所の住民によりますと、1年ほど前に東京から実家に戻り、農業をしていたということです。
 「1年くらい前から家業手伝って、(事件とは)関係ないんじゃない、いい子だからさ。まじめにやってた。2、3日前に見たな、畑で仕事しているのを、農家だから。本当に信じられない。多分違うと思う。何かに巻き込まれただけなんじゃない」(秋山容疑者の近所の人)
 取り調べに対し、秋山容疑者はこう供述していたといいます。「佐藤容疑者から『運んで埋めるのを手伝ってほしい』と言われた」。不明の女性と2人の容疑者の間に一体何があったのでしょうか。警視庁は、遺体の身元の確認を急ぐとともに、詳しい経緯を調べる方針です

佐藤一麿容疑者、母は元文化放送アナ 幼少期に弟と差別されていた?
スポーツニッポン[ 2015年6月27日 05:30 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2015/06/27/kiji/K20150627010618320.html
相模原女性遺体遺棄事件
 閑静な住宅街に建つ佐藤一麿容疑者(29)の自宅。近隣住人によると、数年前に建て替えられたという。
 佐藤容疑者の母親を知る人は、佐藤容疑者が幼稚園の年長だった時について「母親が弟と差をつけていたような感じがした」と明かした。「2歳下の弟の弁当は豪華だったのに、佐藤容疑者の弁当は(おかずがあまり入っていなくて)白いご飯が目立つものだった」と指摘。そのことを見かねた当時の担任が、母親に「兄弟で差をつけるようなことをしていたら、いつか(兄に)泣かされるわよ」と注意していたという。佐藤容疑者の母親は文化放送の元アナウンサーだった。
 また、逮捕された秋山容疑者はお嬢様大学として知られる白百合女子大に通学し、放送研究会に所属。アナウンサー志望を公言していたという。

佐々木なほ子文化放送元アナウンサーが佐藤一麿の母親?家族内の兄弟差別と事件の関係は! [ニュース]
http://akinoyuuki.blog.so-net.ne.jp/2015-06-28
google検索結果より個人ブログ「秋野優輝の正直しんどいBLOG」より引用させていただきました

佐藤一麿容疑者の母親は文化放送元アナウンサーの佐々木なほ子さん?
相模原市の墓地で発見された20代の行方不明女性
の事件に関わっているとの疑いで逮捕された飲食店アルバイト店員、 佐藤一麿容疑者29歳と秋山智咲容疑者23歳。
事件が捜査されると共に、 佐藤一麿容疑者の家庭が裕福であり、 父親は一流企業の元社員で、母親が文化放送の元アナウンサーの佐々木なほ子さんではないかという情報があがっているようです。
なぜ、佐々木なほ子さんが佐藤一麿容疑者の母親ではないかというと、
佐藤一麿容疑者は、渋谷にある敷地面積60坪もある大豪邸に両親と弟の四人で住んでいたようで、
その家に表札に佐藤和麿容疑者の父親である佐藤和夫さんの姓である
「佐藤」ともう一つ「佐々木」の姓が表記されているのです。
過去に文化放送でアナウンサーをしていた女性のうち、 佐々木の姓で該当する人が、佐々木なほ子さんだけということで、
今回佐藤一麿容疑者の母親ではないかと、特定されたみたいです。
佐々木なほ子さんは結婚後も仕事をされていて、
苗字を変えず、佐々木のままで活動しておられたようです。
佐々木なほ子さんがどんな人なのか調べてみました。
佐々木なほ子さんは東京都出身で、東京女子大学文理学部を卒業されています。
2015年に定年退職されていることから、年齢は60代と推測されます。
文化放送で定年までアナウンサーとして務められた後は、 文化放送の嘱託職員として「朝の小鳥」という番組の ラジオディレクターをされています。
「朝の小鳥」は日曜の朝5時20分から五分間という短い時間ですが
1953年から放送開始、現在まで長年続いている息の長い番組となっているようです。
本日6月28日の文化放送の番組欄を見てみると まだ放送されているようですね。
番組内容は日本のほか、全世界で収録した鳥の声の音源を紹介する、というものになっているみたいですね。
2010年には番組のスポンサーがいなくなったようですが、それほど制作費もかからないのか問題なく今も続いているようです。

【新宿母子不明事件】逮捕の秋山容疑者は豪農の娘 学生時代は女子アナ志望…農作業に汗流し、同級生と婚約も
2015年6月26日 20時45分産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/10279286/
事件当時、静岡県富士市から上京して東京都内の有名女子大学に通っていた秋山智咲容疑者(23)。
 昨年末には婚約し、実家の農家を継ぐことも決まっていたという。順風満帆に見えた暮らしぶりの裏で、何が起こっていたのか。
 通っていた女子大は、アナウンサーなどマスコミ関係に人材を輩出する有名校だった。秋山容疑者もマスコミに関心があったのか、映像番組制作やアナウンス練習を行う「放送研究会」サークルに所属していた。
 地元の住民によると、秋山容疑者の実家は祖父の代から始めた茶と花の生産が軌道に乗り、地域でも指折りの豪農として知られていた。年の近い妹と2人姉妹。昨年実家へ戻り、婚約して後を継ぐことになっていた。
 「帰ってきたらすごい美人になっていた」。秋山容疑者について、住民の女性は振り返る。日頃から農作業に汗を流す姿が見られた。女性は「過疎化で若い人が少なくなる中で、よく頑張っているなと思っていた」と複雑な表情で話す。
 別の住人男性によると、秋山容疑者は昨年秋、地元の農協の祭りに成人してから初めて参加した。てきぱきと焼きそばを作るなど、裏方の作業を買って出た。地元への「顔見せ」を無事済ませ、地域に溶け込めている様子だったという。
 「中学校時代の同級生と結婚する」。関係者によると昨年末、秋山容疑者は知人に打ち明けていたが、半年後に訪れたのは死体遺棄事件での逮捕だった。

注)秋山容疑者のご実家はこのかたではないかとの話があります
ふじのくに静岡県公式ホームページ
http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-730/wadai/wadai2410.html
富士農林事務所地域の話題10月分更新日:平成24年11月1日

富士市農協しきみ部会園地共進会の開催
平成24年10月23日、富士市大渕、北部(今宮)地区でしきみの園地共進会が開催されました。
根付き2年生6ほ場、根付き3年生6ほ場、切枝3ほ場計15ほ場が出品され、役員、市役所、市場、農林事務所職員計9名が園層、ボリューム、管理、葉色の4項目について、審査を行いました。
激しい雨が振る中、部会員22名も参加し、栽培技術に関する情報交換を行いました。
平成22年3月末の凍霜害の影響により、22年は種子が取れず、25年度出荷を迎えるしきみの不足が予想されるため、2年生から出荷できるもの栽培方法を会員を講師に講習会も行いました。

審査講評
園地の管理が行き届いており、病害虫の被害や雑草もほとんど見られなかった。
入賞したほ場と入賞しなかったほ場は僅差で、全体的にレベルが高かった。
(一部抜粋)
最優秀賞 秋山浩樹氏(北部)

富士市環境審議会
http://www.city.fuji.shizuoka.jp/kurashi/c0902/fmervo00000035ma.html
より一部抜粋
秋山 浩樹 富士市農業協同組合代表理事専務


162 :名無しさん@1周年:2015/06/25(木) 21:15:58.76 ID:edPJAeJc0.net
やっべえ、なまじ知ってるとコメントしづれえw
秋山さんの家はお茶で財をなしたわけじゃねえよ
創価学会専用のお花で財をなしたんだよ笑

199 :名無しさん@1周年:2015/06/25(木) 21:27:49.75 ID:ha2UJaKP0.net
>>162
ということは
おしきみ農家か?
http://n.2chnews.biz/news/1674840_1
google検索結果から上記の部分を「ニュース速報まとめ」より一部抜粋させていただきました


テムズR-kai ‏@VVto30krocket · 14時間14時間前
「シキミ」栽培で創価学会から利益を得てる人たちを農家と呼ぶのは抵抗感あるな。RT【新宿母子不明事件】逮捕の秋山容疑者は豪農の娘 学生時代は女子アナ志望…農作業に汗流し、同級生と婚約も - 産経ニュース http://www.sankei.com/affairs/news/150626/afr1506260033-n1.html … @Sankei_newsさんから
https://twitter.com/VVto30krocket/status/615486967719964672

東北池田記念墓地公園|創価学会公式サイト - SOKAnet
www.sokanet.jp › 墓園・納骨堂のご案内
お供物・おしきみは必ずお持ち帰りください。 ・園内に備え付けの手桶はご自由にお使いください。ご使用後は元の場所へお返しください。 ・ペットは手元から離さないでください。また、建物内・墓域内へのペットの同伴はご遠慮ください。 ・ごみ・空き缶は必ずお ...

注)twitterより一部抜粋
金子福運堂(SGI創価仏壇仏具専門店) ‏@fukuundo · 6月4日
音楽好きの店長こと金子力です。ついにDef Techのアルバム出ましたね♪
まだ買えてないのですが必ず手に入れます。
彼らの曲は全般的に前向きでキャッチー!
そもそも暖かい国の曲が好きなので、体にあっています。名曲My way
https://www.youtube.com/watch?v=hNYSQDbD4v0 …
https://twitter.com/fukuundo/status/606398537622953984

金子福運堂(SGI創価仏壇仏具専門店) ‏@fukuundo · 5月15日
生シキミは根を切らずに創価専門しきみ農家より直送出荷。
店舗に届くまでに3~5年かかると言われています。
お客様に選んで頂いてから根を切りますので、
「少し切って販売している所と違い、断然長持ちする!」
と好評です。是非ご利用ください。またお植えに成る方土無料で
差し上げます。
https://twitter.com/fukuundo/status/599060164709261312

金子福運堂(SGI創価仏壇仏具専門店) ‏@fukuundo · 5月30日
「白百合ワンポイント入り」合皮念珠ケース!
限定格安入荷!
フレッシュピンク・キャメル・パープルの三色よりお選びいただけます!
その他、御書カバー・大白カバーもあります。
※売り切れしだい終了です。
https://twitter.com/fukuundo/status/604494000947527680

金子福運堂(SGI創価仏壇仏具専門店) ‏@fukuundo · 5月21日
(成増イイ所)今日早朝の雷すごかったですね。お話変わって、
お昼前に「成増駅前の、たこ焼きが食べたい。」
ふとそう思いました。店長
https://twitter.com/fukuundo/status/601216187465216000
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東京)都勢7校、全国へ バンドフェスとマーチングコン2014年9月1日03時00分

http://www.asahi.com/articles/ASG806D88G80UTIL00X.html
朝日新聞2014年9月1日03時00分
第33回全日本小学校バンドフェスティバルと第27回全日本マーチングコンテストの都大会(都吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)が31日、江東区の有明コロシアムであった。審査の結果、バンドフェス3校、マーチングは中学2校、高校2校が11月22、23日に大阪市の大阪城ホールで開かれる全国大会の代表に選ばれた。
 全国大会への出場を決めた板橋区立赤塚第三中3年の金子茉莉亜(まりあ)部長(14)は「曲はメリハリをつけて格好良く、動きは星やハートなどの形がきれいに出るように意識して、心を一つにして頑張った」と話した。各賞は以下のとおり(◎は代表)。
 【小学校バンドフェス】金賞=◎江東区立明治、◎新宿区立早稲田、◎荒川区立第六瑞光、武蔵野市立第三、台東区立富士▽銀賞=足立区立北鹿浜、同区立高野、同区立千寿双葉、文京区立千駄木、台東区立台東育英、江東区立第七砂町▽銅賞=足立区立花畑、星美学園、北区立赤羽台西、足立区立伊興

 【マーチングコンテスト 中学】コンテスト 金賞=◎板橋区立赤塚第三、◎足立区立第十四、調布市立第三、足立区立栗島、同区立第十一、武蔵村山市立第四▽銀賞=足立区立第六、同区立蒲原、練馬区立上石神井、北区立滝野川紅葉▽銅賞=調布市立調布、江戸川区立東葛西▽フリー 優秀賞=多摩市立落合中

【同 高校以上】金賞=◎東海大付属高輪台、◎八王子学園八王子、修徳、創価シャイニングスピリッツ、葛飾総合▽銀賞=片倉、永山、十文字

創価学会関西、軽やかに金 全日本アンサンブル 大阪
朝日新聞2013年3月21日
http://www.asahi.com/edu/suisogaku/ensemble/TKY201303200382.html
岩手県民会館で20日に開かれた第36回全日本アンサンブルコンテスト(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)で、関西支部代表として府内から3団体が出場した。職場・一般の部で創価学会関西吹奏楽団(クラリネット四重奏)は金賞に輝いた。高校の部の東海大付属仰星高(クラリネット四重奏)と、職場・一般の部の箕面市青少年吹奏楽団(サクソフォン四重奏)は銀賞を受けた。
 創価学会関西はハイケティック作曲「スリー・ラテン・ダンス」の難曲を軽やかに披露した。リーダーの会社員、松岡秀明さん(32)は「東北で演奏するので、聴いた方に元気が届けられるような演奏を目指しました」と話した。
 東海大付属仰星高はドゥファイ作曲「オーディションのための六つの小品」を選び、息の合った演奏を披露した。全国大会に初めて出場した森澤美和さん(1年)は「今まで自分たちが練習してきたことを信じて、いつも通りの演奏ができました」と話した。
 箕面市青少年は石毛里佳作曲「幻舞曲」を選曲。リズムに合わせ、4人で歌うように奏でた。リーダーの会社員、松本愛さん(21)は「きれいな音色を聴かせようと練習し、楽しく吹くことができました」と振り返った。


中部創価学会の文化運動
http://www.chubu-soka.jp/bunka/
中部音楽隊
中部音楽隊は、中部男声合唱団・創価中部サウンド吹奏楽団・愛知吹奏楽団・三重吹奏楽団・岐阜吹奏楽団・創価中部ファーストスターズ・愛知弦楽アンサンブル・愛知軽音グループの8団体より構成され、内外の様々な場面で創価学会の文化運動の推進に全力で取り組んでおります。
 「民衆に勇気と希望を与える演奏を!」とのテーマのもと各種コンクール・コンテストへの出場や定期演奏会・ファミリーコンサート等の開催、各種イベントでのパレード参加、地域の集いでの演奏など、幅広い活動を展開しております。
 なかでも、創価中部ファーストスターズは「全日本マーチングバンド全国大会」において、東海支部代表として10回度の出場を果たし、入賞するなどの栄冠に輝いております。また、創価中部サウンド吹奏楽団も「全日本吹奏楽コンクール」に毎年出場しており、愛知県大会においては常に最優秀の成績を収め、2008年には全国大会に2度目の出場を果たしました。 また、中部男声合唱団・三重吹奏楽団・岐阜吹奏楽団も同様にコンクール・コンテストに出場し、好成績を収めております。
 これからも益々の力強い音楽活動を推進し、日本の、そして世界の文化向上の為に貢献していける様、諸活動に励んで参ります。

公明党 西本議員ホームページ 八王子に一直線
マーチングバンド関東大会に行ってきました。
http://www.komei.or.jp/km/nishimotokazuya/2014/11/09/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82/
2014年 11月 9日
第49回マーチングバンド関東大会(第42回マーチングバンド全国大会関東予選)が“さいたまスーパーアリーナ”にて開催されました。
2日目の開催となる11月9日(日)には、同大会の「幼保の部」「小学生の部」「一般の部」において、茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨・新潟・長野から、それぞれ都・県大会を勝ち抜いた全49団体が出場。素晴らしい演奏に観客席からは惜しみない拍手が送られました。
一般の部(大編成)に出場した、創価ルネサンスバンガードは金賞と埼玉県知事賞を受賞、創価大学Pride of SOKA も金賞を受賞し、ともに全国大会への切符を手にしました。
尚、全国大会は12月13日(土)・14日(日)、さいたまスーパーアリーナにて行われます。
詳細は次のURLにてご確認下さい。
http://jma.p-kit.com/page235876.html#mn

音楽隊の誇り 仏法の視点から 創価学会青年部サイト
soka youth 2012年1月
http://www.sokayouth.jp/study/from-buddhism/6.html
約二万人におよぶ日本最大の青年音楽団体「音楽隊」。各種コンクールでの評価も高く、吹奏楽やマーチングの世界で
「創価」の名を知らない人はいない。
以下リンク先へ

上甲子園中などに金賞 全日本マーチングコンテスト
2014年11月23日18時15分朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASGCN63MQGCNULPI00M.html
 第27回全日本マーチングコンテスト(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)が23日、大阪市中央区の大阪城ホールで開かれ、全国11支部から選ばれた中学23校、高校25校が、磨き抜かれたマーチングを披露した。審査の結果、中学の部で関西代表の西宮市立上甲子園中(兵庫)など8校、高校以上の部で九州代表の精華女子高(福岡)など9校が金賞に輝いた。
 審査結果は次の通り。
 ◇中学の部 【金賞】大阪市立菫(大阪)、山口市立小郡(山口)、野田市立南部(千葉)、久喜市立栗橋東(埼玉)、足立区立第十四(東京)、雲仙市立小浜(長崎)、船橋市立法田(千葉)、西宮市立上甲子園(兵庫) 【銀賞】広島市立安佐(広島)、高崎市立塚沢(群馬)、習志野市立第二(千葉)、名古屋市立植田(愛知)、佐久市立浅間(長野)、加古川市立平岡(兵庫)、宇治市立宇治(京都)、南砺市立福野(富山)、板橋区立赤塚第三(東京)、郡山市立郡山第三(福島)、神戸市立塩屋(兵庫) 【銅賞】北九州市立木屋瀬(福岡)、遠軽町立遠軽(北海道)、山鹿市立山鹿(熊本)、徳島市加茂名(徳島)

 ◇高校以上の部 【金賞】精華女子(福岡)、玉名女子(熊本)、淀川工科(大阪)、熊本工(熊本)、東海大高輪台(東京)、習志野(千葉)、高岡商(富山)、早稲田摂陵(大阪)、伊奈学園総合(埼玉)【銀賞】佐賀学園(佐賀)、出雲北陵(島根)、出雲商(島根)、京都橘(京都)、愛工大名電(愛知)、箕面自由学園(大阪)、市立柏(千葉)、安城学園(愛知)、木曽川(愛知)、東京農大第二(群馬) 【銅賞】弘前実業(青森)、高知学芸(高知)、遠軽(北海道)、八王子学園八王子(東京)、土佐女子中高(高知)、宮城広瀬(宮城)

精華女子高等学校wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E8%8F%AF%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
生徒会活動・部活動など[編集]
部活動は、体育部が7部、文化部が16部の計23部ある。
特に、吹奏楽部が全国的に有名で、1994年に全日本吹奏楽コンクール全国大会で金賞を受賞して以来、何度も同大会で金賞を受賞しており、近隣の各種イベントでも演奏を行うことがある。2014年2月12日には同部が演奏する17曲を収録したCD「熱血!ブラバン少女」がSMEレコーズより発売された[1]。

マーチングで強い関西の高校おしえてください。
LINE Q
http://lineq.jp/q/18275657

tatsu-y
2015.03.17 00:20
四條畷高校、天理教高とかですかね~
2015.03.16 22:30
関西創価学院高校 宗教パワーで最強です。

OLAF 赤羽馬鹿祭りを見に行く (’13年4月28日① 先発パレード、音楽パレード)
個人ブログ
http://olaf-mama.at.webry.info/201304/article_40.html
作成日時 : 2013/04/29 11:45
赤羽の街では毎年4月に街を挙げて開催される最大のイベント「大赤羽祭」というのがある。
エイプリルフールがある4月1日に第一回目の祭が行われた事に因んで「馬鹿祭り」というけったいな愛称が付けられているのだが、かれこれ50年以上も続くという、意外に歴史の長い祭だ。
この馬鹿祭りが東京都北区で最大級の祭で、当日は赤羽の街がお祭りと青空大酒場になり、何故か創価学会会員大集合で大変な事になると聞いたので、どんなものかちょっと見に行ってみた。
それと、赤羽と言う町には行った事は無い。
どんな街かにも興味がある。
(略、全文はリンク先をご覧ください)
パレードに現れたのは、青・黄色・赤、三色の巨大な旗を翻す創価なマーチングバンドの皆さん。
何故創価学会の力が強いの?
実はパレードの予定表を見てみると、14組あるマーチングバンドのうちの4組は創価系列だった。
これには驚いた。
そりゃ布教活動が熱心な東京都北区?
確か本部は東京都新宿区信濃町だったはず。

Muse "Follow Me" blow out ATL

Muse "Follow Me" blow out ATL
https://www.youtube.com/watch?v=NozM54BLD14
2013/04/06 に公開
Centennial Olympic Park Final Four Dance Party concert. Oops!

注)ミスターチルドレンのサマーソニック2013での「FAKE」演奏中の音響トラブルにより
突然音が消えた場面です
ss13 mh2
2013/08/12 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=jE73LEWqwmY

ミスチル『REFLECTION』が1位に返り咲き! [Alexandros]は惜しくも2位に
http://dot.asahi.com/billboardnews/2015062400063.html
(更新 2015/6/24 14:35) dot billboard

Muse blows a generator at ACL Festival 2013 - Supremacy
https://www.youtube.com/watch?v=tL0WomSyGFg
2013/10/05 に公開

London Shepherds Bush Empire 2013 (gig)
http://www.musewiki.org/London_Shepherds_Bush_Empire_2013_(gig)
Venue Shepherds Bush Empire[source?]
Date 18th February 2013[source?]
• Before Madness, an audience member shouted "Madness is shit!" to which Bellamy replied "Ha! We'll play that one for you then." A voice in the audience can then be heard comically saying "Madness is alright!"

Muse 'Madness' | War Child 20th Anniversary Show 2013 | HD OFFICIAL LIVE
http://datab.us/PD5IteX0JCk#Muse 'Madness' | War Child 20th Anniversary Show 2013 | HD OFFICIAL LIVE
Muse perform 'Madness' live at the O2 Shepherd's Bush Empire in London on 18th February 2013, in honour of War Child's 20th anniversary. War destroys children's lives. You can help stop it by clicking here to donate towards War Child's vital work: bit.ly/VDeAsW Muse return to Europe this Summer for a string of stadium dates. For more information and to buy tickets check out

集団食中毒か…大阪城ホールから26人搬送 マーチングコンテストに出場の安城学園生徒ら 今年は金賞逃す

注)特定の組織団体との関連は不明です

http://www.sankei.com/west/news/141123/wst1411230040-n1.html
2014.11.23 19:27更新 産経
23日夕、大阪市中央区の大阪城ホールで開かれた「全日本マーチングコンテスト」に出場した安城学園高校(愛知県安城市)の生徒が、相次いで下痢や嘔吐(おうと)などの症状を訴えた。

 大阪市消防局によると、病院に搬送されたのは、15~18歳の男女26人。重症患者はいないという。集団食中毒の疑いがあり、保健所が今後、原因を調べる。

 主催する全日本吹奏楽連盟などによると、同校の生徒たちは21日から三重県伊賀市内のホテルに宿泊。23日朝、大阪に向けてバスで出発し、移動中に弁当を食べた。演奏終了直後の同日午後4時ごろ、生徒が相次いで症状を訴えたという。

 コンテストは今回で27回目。午前から中学、午後から高校の部が行われ、高校の部には全国各地の予選を通過した25校約1300人が参加した。安城高は昨年まで3年連続で金賞だったが、今回は銀賞だった。

吹奏楽名門高校カリスマ顧問のセクハラ疑惑を元女子生徒告発
http://www.news-postseven.com/archives/20141011_281524.html
ポストセブン2014.10.11 07:00

吹奏楽の全国大会常連である私立安城学園高校(愛知県安城市)のカリスマ指導者のセクハラ疑惑を、被害者の元女子生徒(22)が10月11日発売の週刊ポスト10月24日号で告発している。

 安城学園吹奏楽部はその世界では超のつく名門である。全日本吹奏楽コンクールに12回出場し、金賞4回、銀賞5回、銅賞3回。今年も10月下旬開催の同大会への出場が決まっている。元女子生徒が告発した相手は、2011年3月まで顧問を務めていたY氏(69)。Y氏はそれまで最低レベルだった同校の吹奏楽部を全国大会に導いた実績があり、吹奏楽部の部員の多くが、Y氏の指導を受けたいと安城学園に入学してきた。
 元女子生徒は、以下のような告発をする。
以下リンク先

全日本マーチングコンテストwikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88
全日本マーチングコンテスト(ぜんにほんマーチングコンテスト、All Japan Marching Contest)は、社団法人全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が主催し、毎年11月に開催されるマーチングのコンテスト。1988年に全日本吹奏楽連盟50周年の記念事業として創設、第1回の全国大会が開催された。当初は全日本マーチングフェスティバルと呼ばれていたが、2004年度の第17回大会より全日本マーチングコンテストに改称された。

規定

全日本マーチングコンテストは大きく「中学校の部門」「高等学校以上の部門」に分かれている。全日本吹奏楽連盟に大学・職場・一般として登録されている加盟団体は「高等学校以上の部門」に参加する。

ミューズとマイケミ、食中毒でショウをキャンセル

http://www.barks.jp/news/?id=1000031401
2007-05-03 07:55:01barks
ミューズとマイ・ケミカル・ロマンスが食中毒のため、ツアーの一部をキャンセルした。現在一緒に北米ツアーを行なっている彼らだが、ヴァージニアでプレイした翌日(4月29日)、バンド・メンバーやツアー・クルーが重い食中毒に襲われたという。

両バンドのオフィシャル・サイト(muse.mu/mychemicalromance.com)によると、マイ・ケミカル・ロマンスのバンド・メンバー&クルー、およびミューズ側のクルーが被害にあったそうだ。病院へ運び込まれた人もいるという。

このため、日曜日の夜のステートカレッジ公演をキャンセル。火曜日のコロンバス公演は、病人が回復すれば水曜日に変更し、もともと水曜日に行なわれるはずだったピッツバーグのショウはキャンセルとなった。現在のところ、木曜日(3日)のニューヨーク公演からスケジュール通りに行なわれる予定。

食中毒の原因および、具合が悪くなったマイ・ケミカル・ロマンスのメンバーの名前は明らかにされていない。現在、保健所は、地元のレストランからオーダーしたケータリングに問題がなかったかどうか調査中だという。

マイ・ケミカル・ロマンスの関連ニュースとして、NME.COMによると、彼らはスマッシング・パンプキンズのトリビュート・アルバムのためパニック!アット・ザ・ディスコとコラボするという。詳細は不明だが、アルバムはMyspace Recordsからリリースされるそうだ。

「寺社油撒き医者」日テレがニューヨークで直撃!「事件心当たりない」

注)この方に関する続報は報道が消えてしまいました

http://www.j-cast.com/tv/2015/06/02236683.html
jcast2015/6/ 2 14:43

全国の神社や寺に油のような液体がかけられる事件が相次いでいるが、千葉県警はきのう1日(2015年6月)、アメリカ在住のキリスト教系宗教団体創立者の男(52)を建造物損壊の疑いで逮捕状をとった。この男とよく似た人物が3月(2015年)に、千葉県香取市の香取神宮に油をまいている様子が防犯カメラに写っていた。香取神宮から約20キロ離れた成田山新勝寺でも同様な被害があり、似ている男が防犯カメラで確認された。

男は日本を出国していて、帰国後、容疑が固まり次第逮捕する方針だ。

自称・宗教団体創設者!信者たちに「日本各地で油をまいて清めた」

日本テレビは先月、ニューヨークでこの男を直撃していた。白いシャツで歩道を歩いていた。
記者「重要文化財に液体をまかれた事件に関与の疑いがありますが、心当たりはありますか」

男「ありません」

記者「本当にありませんか」

男「はい」

記者「日本に行ったことは?」

男「だいぶ前ですね」

記者「いつごろですか」

男「3月の上旬くらいですね」

日テレの映像はそこで終わるが、動画サイト「ユーチューブ」でもこの男のことは公開されている。それによると、自分のプロフィルについて「17歳の時に洗礼し、『神の示し』でアメリカで医師になった」といい、「2013年7月にキリスト教系の宗教団体を創立、各地で講演している」と早口で穏やかにしゃべっている。油と何か関連あるのか、「多くの人が無実の罪で殺された場所で油を降り注いで清めました」などと説明している。別の講演でも「かつて日本各地で油をまいた」ともいっている。
マンハッタンの一等地で開業外科医

司会の加藤浩次「清めるために油をまいたとはっきり言っていますね」

ロバート・キャンベル(東京大教授)は「呪いがかかっているから清めると言っていますが、キリスト教では呪いはありませんし、清めるということもありません。彼のホームページをみると、マンハッタンの一等地で外科医をしていて、サイトの内容は非常に明晰です。しかし、教団のホームページはちょっととりつかれたような感じで、同じ人とは思えません」と分析している。

現在、全国16都府県48か所に同様の油のような液体がまかれた被害が確認されている。

公明党「平和の党」虚偽表示の歴史

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/160981
2015年6月21日 日刊ゲンダイ
公明党には、もう、ウォー・パーティー、つまり「戦争の党」とルビを振らなければならない。自民党と連立政権を組んで、憲法違反の安保法制を成立させようとしているのだから「平和の党」を名乗るのは虚偽表示だろう。一刻も早く連立を解いて、安保法制ならぬ戦争法案に反対するのでなければ、詐欺罪を適用されても文句は言えないのである。公明党のバックの創価学会の、特に婦人部は戦争反対であり、現憲法擁護だといわれるが、それも偽りではないのか。

 衆議院事務局に就職して以来、園田直や前尾繁三郎といった自民党の大物にかわいがられ、近年は小沢一郎のブレーンとして知られる平野貞夫は、公明党が自民党と連立協議を始めた時、当時の幹事長、冬柴鉄三はそれに反対する議員に「すべては池田名誉会長を守るためだ」と言い放った逸話を紹介し、さらに、2003年のイラク戦争に際しての公明党の堕落ぶりを批判する。
「平成政治20年史」平野貞夫著(幻冬舎新書)
 この時、公明党は代表の神崎武法がイラクのサマワを数時間視察して安全を演出するという“猿芝居”をやって自衛隊の派兵を了承した。そして、公明党支持者にとって経済的に負担の少ない所得税の定率減税廃止を自民党にのませたのである。「平和・福祉・人権」が立党の理念だったはずの公明党の看板を塗りかえなければならないほどの露骨な取引だった。すでに、そのころから、看板に偽りありだったと言っていい。それを厚顔に取りつくろうように幹事長の冬柴は「大量破壊兵器を持つイラクを叩くことが平和の道だ」とか、「イラクはスプーン1杯で約200万人分の殺傷能力がある炭疽菌を約1万リットル保有している疑惑がある」と言いふらしていた。大量破壊兵器などなかったことが判明した現在、残念ながら自民党と共に公明党の責任追及はされていない。

 また、平野は「政権投げ出しの異常政治」の章で、2006年秋に安倍晋三が初めて首相になる直前、創価学会名誉会長の池田を極秘に訪ねた疑惑を指摘する。訪ねたのは首相に指名される4日前だった。「政教一致」問題で国会喚問もという池田を訪ね、安倍は1時間以上、熱心にメモを取りながら池田の話を拝聴したという。メモを取ると評価が高くなると安倍は入れ知恵されていた。だから池田は後で「安倍は真面目で、何にでも使える男だ」と感想をもらしたらしい。池田の方が利用されているわけである。 ★★半(選者・佐高信)

スタンリー・キューブリック wikipedia

注)7月26日というと何の日と記憶されているでしょうか?ポツダム宣言の日、昨年の佐世保の同級生殺害事件の日
昨年のフジロックの日、故人スタンリーキューブリック監督の誕生日でもあります
『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』、『2001年宇宙の旅』、『時計じかけのオレンジ』が有名ですが、「フルメタルジャケット」と「アイズワイドシャット」ををご覧になったことはありますか?
「フルメタルジャケット」はミッキーマウスマーチが印象に残ります

Full Metal Jacket - Mickey Mouse song
https://www.youtube.com/watch?v=PmILOL55xP0

ミッキーマウスマーチwikipediaより一部抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81
使用
スタンリー・キューブリック監督の映画「フルメタル・ジャケット」のラストで、海兵隊達が「ミッキーマウス・マーチ」を歌いながら戦火の中を行進するシーンが使われている。

スタンリー・キューブリック wikipedia より一部抜粋、全文はリンク先を参照してください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick, 1928年7月26日 - 1999年3月7日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン生まれの映画監督。のちにイギリスに移住した。イギリス・ハートフォードシャーの自宅で心臓発作で息を引きとったとされるが、正式な死因は明らかにされていない。 キューブリックの死は監督作品「アイズ ワイド シャット」の試写会5日後の事だった。開業医を営むオーストリア=ハンガリー帝国に起源を持つユダヤ人[1]の両親の長男として、ニューヨークのマンハッタンで生まれる。少年時代は、チェス、ジャズに興味を持ち、特にカメラは、彼の経歴の出発点となる。ハイスクール時代のIQは平均以上だったが、成績は平均以下だった。

1946年、ニューヨーク市立大学シティカレッジに入学するが、すぐに中退。一時はジャズ・ドラマーを目指していたが、当時の大統領フランクリン・ルーズベルトの死を報じる一連の写真が写真雑誌『ルック』誌に売れ、見習いカメラマンとして在籍するようになる。
以下リンク先

フルメタル・ジャケットwikipediaより一部抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88
『フルメタル・ジャケット』(Full Metal Jacket)とは、1987年のアメリカ映画で、ベトナム戦争を題材にした戦争映画。監督はスタンリー・キューブリック。
原作は、グスタフ・ハスフォードの小説『ショート・タイマーズ(英語版)』(用語の意義としては「短期現役兵」)。邦訳『被覆鋼弾』(意味は弾体の鉛を銅などで覆った弾のことである。詳しくは弾丸の記事を参照のこと)。日本での公開は1988年3月。

あらすじ
明確に二部に分かれた構成。前半では海兵隊訓練所で新兵が受ける過酷な訓練、後半では彼らのベトナムでの行動が描かれる。
ベトナム戦争時、アメリカ海兵隊に志願した青年たちは、サウスカロライナ州パリス・アイランドの海兵隊訓練キャンプで厳しい教練を受ける。キャンプの鬼教官・ハートマン軍曹の指導のもとで行われる訓練は、徹底的な叱責と罵倒、殴る蹴るの体罰が加えられ続けるという、心身ともに過酷を極めるものだった。さらに連帯責任による懲罰、訓練生の間で行われるいじめなど閉鎖的な空間で受ける社会的ストレスが次々と描かれていく。落ちこぼれだった訓練生レナードはこれにより精神に変調をきたし、卒業式の夜にハートマンを射殺し自らの命を絶つ。
厳しい訓練を耐え抜き一人前の海兵隊員となった彼らは、ベトナムへ送られる。テト攻勢の第一撃を受けた後、前線での取材を命じられた報道部員のジョーカーは、訓練所での同期であったカウボーイと再会し、彼が属する小隊に同行することとなる。ある日カウボーイたちは、情報部から敵の後退を知らされ、その確認のためにフエ市街に先遣される。しかし交戦地帯で小隊長が砲撃で戦死、さらに分隊長をブービートラップで失った上に敵の狙撃を受け、部隊は混乱する。

ハートマン軍曹
演 - R・リー・アーメイ海兵隊の訓練教官で、階級は一等軍曹。劇中前半の訓練シーンのみに登場する。厳しい教練で知られ、常に訓練生たちを容赦なく、品のない汚い言葉で罵り続ける鬼軍曹。出来の悪いレナードの面倒をジョーカーに任せるなど、隠れた優しさや配慮を見せるなど経験豊富な職業軍人。訓練所卒業前夜、M14を持ち出したレナードを諭すが、腹部を銃撃され、殺される。原作小説ではガーハイム砲兵軍曹[2]という名で、硫黄島での戦歴があるなど、映画とは設定が若干違う。

日本語訳
他のキューブリック作品でも多い例だが、キューブリック自身が本作品の字幕翻訳をチェックしている。当初、日本語字幕への翻訳は戸田奈津子が担当したが、ハートマン軍曹の台詞を穏当に意訳したため、再英訳を読んだキューブリックは「汚さが出てない」として却下、急遽、原田眞人が起用され作業にあたった。キューブリックが原文に忠実な翻訳を要求した結果、「まるでそびえたつクソだ!」など、日本語としては非常に奇妙な言い回しの字幕になり、かえって話題を呼び、さまざまなパロディが発生した。

撮影
アメリカとベトナムが舞台だが、イギリスで撮影された。そして原作の後半が省略されたこともあり、ベトナム戦争を扱った映画には珍しくジャングルでの戦闘がなく、主に市街地戦闘が描かれている。ただし原作ではフエ宮殿地域の邸宅群が舞台となっているのに対し、映画ではコンクリート建築が並ぶ街並みにアレンジされている。

配役
当初、訓練教官役への演技指導として、海兵隊の訓練教官を務めた経験のあるリー・アーメイが呼ばれたが、その迫力が余りにも生々しく圧倒的だったため、自ら訓練教官を演じることになった。劇中の台詞の半分は猥褻で下品なものが含まれ、さらに本人ばかりか出身地や家族まで徹底的にこき下ろしてしまう彼の罵詈雑言に出演者が怒りだすこともあったという。映画前半の訓練キャンプの描写は非常に有名だが、原作小説では全体の1/5程度を占める部分にすぎず、配給会社が用意した映画の予告編にも登場しない。ハートマン役の予定だったティム・コルセリは、降板させられたことが非常に不満だったという。代わりに演じた輸送ヘリのドア・ガンナー役では、ヘリから眼下のベトナム農民を片っ端から撃ち殺し「逃げる奴は皆ベトコンだ、逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ」と言い、さらにジョーカーの「よく女子供が殺せるな」という質問に対しては「簡単さ、動きがのろいからな」と答え、「ホント、戦争は地獄だぜ!」と言い放つという、数分の登場ながら狂気に満ちた演技を見せた。

アイズ ワイド シャットwikipediaより一部抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BA_%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%89_%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88
『アイズ ワイド シャット』(Eyes Wide Shut)は、1999年製作の映画。スタンリー・キューブリック監督の遺作となった。原作はアルトゥール・シュニッツラーの『夢小説』(1926年)。

アメリカでは本作にある性的シーンによってNC-17(成人映画扱い)に指定されている。また日本でもR-18(同じく成人映画扱い)に指定されている。

主演の2人に加え、結果的に監督の遺作となったという話題性も上乗せされて、7月以降のロードショーでは世界的なヒット作となった。

タイトルの Eyes Wide Shut は、英語の常套句 "(with) eyes wide open"(大きく見開いた目)をもじった、一種のナンセンスである。尚、当映画の試写会5日後に監督スタンリー・キューブリックは急死する。死因は心臓発作とされているが心臓発作の要因は不明とされている。
あらすじ[編集]

ニューヨークの開業医ビルとアリスの倦怠期を迎えている夫妻は、ビルの患者で友人のジーグラー夫妻が開いたクリスマス・パーティーに招かれる。このパーティでビルはピアニストであり旧友のニックと再会し、アリスはビルと別れて個別にパーティーを楽しむことにしたが、ビルは女性たちに誘惑され、一方でアリスはハンガリー人の紳士に誘惑される。その後、マンディという若い女性がドラッグを吸引し倒れてしまう。ピルの適切な処置でマンディは一命を取りとめたが、ビルはジーグラーによりこのことを口止めされた。翌晩ビルとアリスはふとしたことから口論になる。そこへ患者のネイサンソンが急死したという知らせが入り、ビルは患者の家へ向かう。しかし、その道中で、ビルはアリスが海軍士官とセックスをしているという妄想を抱き、懊悩する。

患者の死を見届け帰宅している最中に、ビルは再び妄想に取り付かれ、深夜のニューヨークを徘徊する。そこへ娼婦のドミノに話しかけられビルは彼女の家へ向かう。

その後、我に返ったビルは再び街をさまよう。たまたま見かけたバーでニックが演奏していることを知り、ビルは入店した。その後、ビルはニックがピアニストとして雇われている謎めいたパーティに行くことになる。

ビルは再び妄想に襲われながら、タクシーでパーティ会場へ向かった。しかし、そのパーティの正体は仮面乱交パーティーだった。その後、ビルは部外者であることが露呈し、会場を追い出されてしまう。

翌日、ビルはニックのホテルへ向かったが、ニックは何者かに連れ去られた後だった。ニックの足取りを追うためにパーティーのあった邸宅へ向かったが入り口は閉ざされていた。そこへ執事がやってきて何も言わずに封書を渡した。中には「これは2度目の警告だ。これ以上詮索するな」と書かれていた。

その後、ビルはドミノの家へ向かった。同居人の話からドミノがHIV陽性であることがわかった。

不審な人物に尾行されていることに気づいたビルは喫茶店へ逃げ込む。そこで読んだ新聞に、ミスコンの前女王がドラッグの過剰摂取で倒れたという記事が載っていた。ビルは搬送された病院へ向かい医師の立場を利用して女性に面会しようとするが、既に死んだと聞かされた。ビルが安置所で対面した遺体はジーグラーの家で命を救ったマンディーであり、そして昨日のパーティーでビルの命を救った謎の女性だった。

その時、ジーグラーからの電話が鳴った。彼の家へ向かうビル。ジーグラーはパーティーの参加者であり、パーティーの後でビルを尾行させたのも、ニックを連れ出させたのも自分だったと明かす。ビルはマンディーを殺したのかと問い詰めるが、ジーグラーは「普段から中毒であり時間の問題だった」と告げた。全てはビルを脅してパーティの秘密を守るための狂言だったのだ。

身も心も憔悴して帰宅したビル。眠るアリスのベッドに倒れこみそうになるが、アリスの横には無くしたはずの仮面があった。ビルは泣き崩れ、アリスに全て話すと言った。

ビルとアリスは娘と一緒にクリスマスプレゼントを買いに来た。賑やかなデパートの中を走り回る娘。いつしか夫婦は二人だけの会話に没入していた。色々あったけれど、生きて帰ってきたことに感謝すべきと語るアリス。そして夫婦の絆を確かめ合うために、今すぐしなければならない大事なことがあるという。「それは何だい」と聞くビルに、アリスは言った。「ファック」。

製作

キューブリックがこの作品の映画化を志したのは、1970年代にまでさかのぼる。1972年には映画化権を取得するが、他作品の制作などに忙殺されるなどにより実現が危ぶまれた。1990年代に入りようやく制作が本格化し、共同脚本家に『ダーリング』でアカデミー賞を受賞したフレデリック・ラファエルが起用された。なおキューブリックは当初、作者と題名を伏せた原作をラファエルに送ったものの「古臭い内容だ。まさかシュニッツラーか?」との返事を受けた。2人によって内容は現代劇に改められ、またキューブリックの意志で儀式の描写が作品の要になることも決定した。

1995年12月、ワーナー・ブラザーズは「キューブリック監督が新作を制作する。夫婦の嫉妬をテーマとした作品でタイトルは『EYES WIDE SHUT』、主演はトム・クルーズとニコール・キッドマンである」と発表した。私生活上でも夫婦であり、共に大スターでもあるクルーズとキッドマンの共演は大きな注目を集めるが(2人の共演は結婚後『遥かなる大地へ』から数えて2回目だった)、それゆえに「完璧主義の監督に、多忙なスターが合わせられるだろうか?」などと完成を疑問視する向きもあった。キューブリックは過去に、制作が中断した作品がいくつかあることも不信を高めた。

1996年11月から撮影が始まるが、キューブリックの意志により秘密裏に進められたため、その内容も全く外部へは知らされなかった。キャストの交代などにより撮影は長期化し、1998年4月まで延々400日以上に及ぶギネス記録となった(後述)。なおクルーズ夫妻はこの作品に臨むため、ロンドンへ移住していた。

撮了後はキューブリック1人の手で編集が行われる。音楽は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチの『ジャズ組曲 第2番 ワルツ2』(当時の名称)とジェルジ・リゲティの『ムジカ・リチェルカータ』が用いられた。

1999年3月2日、キューブリック、クルーズとキッドマン、WBスタッフの4人による極秘の0号試写が行われるが、5日後の1999年3月7日にキューブリックは急死する。その直後にキューブリック自身が手がけた予告編が公開された。

ロケ地

本作ではクリスマス期のニューヨークにおける華やかな街の景色と寒々とした気温が巧みに表現されているが、キューブリック監督が極度の飛行機嫌いであることから、「フルメタル・ジャケット」同様すべてイギリスでのロケおよび大規模スタジオ撮影で再現されている。

加えてキューブリックは完璧主義な監督であったため、撮影に集中させようとしてトム・クルーズとニコール・キッドマンをイギリスに一年滞在させたいと考えた。この監督の要望に応えたいクルーズと、家を空けたくないニコールとの間に軋轢ができ、それが離婚の原因になったと言われる。なお、主演夫婦には当初、コメディアンのスティーブ・マーティン夫妻がキャスティングされていた。実際キューブリック邸での台本読みにも夫婦で参加している。

イギリスでのロケによるためか、所々に欧州仕様のままの自動車が登場する。これらはアメリカ仕様車とは外観の一部が異なっている。例として、ニューヨーク路上での三菱ミラージュやメルセデス・ベンツ、パーティー邸宅でのロールス・ロイスなど。

豆知識
主人公ビルとアリス夫妻の姓「ハーフォード」はハリソン・フォードのもじりである。
ビル(トム・クルーズ)がニック(トッド・フィールド)の演奏を観に訪れたバーには、キューブリック監督本人が客として映っている。

yahoo映画のユーザーレビューより抜粋、一部下品な言葉が含まれます
Eyes Wide Fuck2011年7月2日 21時27分
http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%80%80%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%89%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88/85193/review/Eyes+Wide+Fuck/141/?c=36&sort=lrf
ちょっと長めの映画ではあるが、キューブリック的な結論ははっきりしているのであって、それはラストのシーン、クリスマスの買い物をするという、至って日常的現実的な場所で交わされる夫婦の会話、つまり、

「それ」が現実であろうと夢であろうと、私たちは「それ」をうまく切り抜けてきた、真実なんてわからない、といって夢もただの夢ではないかもしれない、でも私たちはめざめている、これからもめざめたままでいたい…永遠に、永遠なんてコトバは私を不安にする、でも私はいまあなたを愛している、だからいますぐやらなきゃならないこと、それはファックよ!

この映画全体は「それ」の映像であり、夫婦の疑心暗鬼の時間である。
この明快なキューブリック的セオリーに乗って作られたのがこの映画だ。
夫には夜の街をさまよわせ、妻には悪夢が襲ってくる。夫がひと夜に経験した現実と、帰宅後、妻の語る悪夢とは奇妙な整合性をもつのである、というか、もたせている。

街に出れば、恩師の娘、街角の女の子、貸し衣装やの娘と、いろいろな性の誘惑はそこここに転がっている。妻の告白話が気になる夫は、ついつい関係をもちそうになるがそれを自制しながらも、ある秘密クラブに関心をもち、実はそれが、特異なルールとしきたりをもつ有閑階級の秘密結社であり、実態は選ばれた全員が仮面をつけた風俗クラブなのであった。

他の女性が代わりに犠牲になることで夫は難を逃れ、街角の女の子と関係することもなく、その夜のできごとがあたかも夢であったかのように描かれる。
次の夜帰宅した夫が目にしたものは、なくしたと思っていた仮面をそばに置いて眠る妻の姿であり、その光景を見て自責の念にかられた夫はこのひと晩のことをすべて妻に話すしかなかった。

この映画もまた『シャイニング』のような空間の広がりや色使いであるが、さらに特徴的なのは光の使い方であろう。
夫婦の住居からパーティー会場の大広間にいたるまで、妻が告白話を切り出すまでは、ライトの光も強く美しい。
豪華絢爛たるセットはキューブリック好みの家具や飾りが華やかで、カーテンやベッドカバーなどの色使いも『シャイニング』並みだ。

前半の山は、このストーリーを滑り出させるきっかけとなる、夫婦の会話で、妻役のニコール・キッドマンの演技がうまい。後半、悪夢を話すときの薄明かりの中でのキッドマンの演技もいい。

『2001年宇宙の旅』でも使われたリゲティや、ショスタコーヴィッチのワルツ曲などをうまく取り入れ、華やかさと不安な音をうまく対比させている。乾いた単音のピアノの音は、シンプルなだけに不気味な響きを放っている。

全体的にはややスローテンポではあり、それは考えたうえでのことと思う。なぜなら、一言にしていえば夫婦それぞれの疑心暗鬼を、夢のような現実として描くためには、忙しいテンポでは表せなかったのだろう。

冒頭が長い、つまり、妻の告白までが長い、という批判もあるようだが、女が気を失うというのは後半にかかわることであり、妻が、声をかけてきた男と濃厚なダンスを踊りながらも誘いを断るのは、欲求不満の状態から告白話をさせるのに必要だし、後半とのバランスもあるように思われる。
冒頭、用を足す妻のシーン、オカマっぽいホテルのフロント、貸し衣装やに隠れていた二人の中年の(たぶん)日本人、などは、ご愛嬌だと思う。
夫たる者は、秘密クラブで仮面をつけてファックするのも危険なら、街角の女の子とヤルのも危険だし、妻とヤルべし、いま目を開いて生きているなら、夫婦がファックで愛を実感するのが何より大事で、ファックは愛の究極の姿なのだ、
というところだろう。
Eyes Wide Shut というタイトルも、そのへんを象徴してのことだろう。
しかし、この映画、やはり、キューブリックのつくる映像世界を観る映画なのですね。

UK発ジャップ・ロック、その正体とは!――ボー・ニンゲン、ロング・インタヴューJul 09,2012 UP

注)FFSと同じ夏のイベントに出演する、イギリスで活動する日本人のこちらのアーティストも某宗教あるいはシンパのかたです。
過去のインタビューですが、世界中で一番シンパシーを感じるアーティストはももいろクローバーZだそうです

http://www.ele-king.net/interviews/002223/
Jul 09,2012 UP eleking 
以下に掲載するのは、菊地佑樹によるボーニンゲン(棒人間)を名乗るバンドにおいてベース&ヴォーカルを担当するたいげん(Taigen)氏へのインタヴューの記録である。ボーニンゲンはロンドンで結成された日本人4人によるバンドで、2010年にロンドンのレーベルからデビュー・アルバム『Bo Ningen』を発表している。ボーニンゲンの音楽は、ホークウインドを彷彿させるような迫力満点のハード・サイケデリックだが、長髪で黒づくめの日本人が激しく動き回りながら日本語で歌うその光景は耳だけではなく目を惹きつけるにも充分な妖しさを発している。謎に包まれたこのバンドがどのように生まれ、どのように活動しているのであろうか......。

 2010年1月、Bo Ningenの来日公演。僕は生まれて初めて日本のアンダーグラウンドなイヴェントに足を運び、恐怖と興奮がうずめくフロアに立ち尽くした。長髪、黒ずくめの、まさに「棒人間」と呼びうる見てくれの男たちが、大音量でギターをぐわんぐわん鳴らしている。ヴォーカルは「人生一度きり(Jinsei Ichido Kiri )!!!」とシャウトする。そのすさまじい演奏に、酒もろくに飲めない僕は、生まれてはじめて酔うという感覚を覚えたのである。

僕のなかでプロレスの入場テーマ曲っていうのはバンド音楽の原体験でもあって、入場テーマ曲で知ったバンド挙げてくだけでも、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、メタリカ......
■では、まずはバンド結成の経緯を教えて下さい。

たいげん:たぶん2007年、5年前になるのかな? 僕は当時いろんなバンドを現地の外国人と組んでいて、イギリスにある日本系のイヴェントに出演することになったとき、たまたま対バンしたのが、こうへい君(ギター)で。彼は東雲オーケストラ(現在のDay and Buffaloの原型バンド)っていうバンドにいたんだけど、そのバンドに共通の知り合いのリカちゃんって子がいて、その子が紹介してくれて話したのが最初かな。当時は実験的な音楽っていうか、ノイズ・ミュージックとか、いわゆるエクスペリメンタル・ミュージックをまわりで聴いてる人たちがあんまりいなくて、そこでこうへい君も同じ状況だったみたいで。お互いの演奏も気に入ったし、そのイヴェント以降、単純に話したり、遊んでるうちに「じゃあ今度セッションしようか」っていう流れになって。

■そのときはすでにBo Ningenとして活動していたんですか?

たいげん:その当時はまだBo Ningenとしては活動してなかった、でもBo Ningen名義でこうへい君と曲を作ってたりはしたのかな? それでまた全然違う経緯で、ある友人に日本からギターを持って帰って来れなかった奴がいるから、貸せるギター余ってない? って相談されて。そのギターを持って帰って来れなかったのがゆうき(ギター)だったっていう(笑)。僕パソコンとかでも当時ライヴしてたんだけど、たまたまゆうきがお客さんで来ていてくれてて、そこで話しかけてくれたんだけど、こうへい君とはまた別に今度はゆうきとセッションしようってなって、っで実際にゆうきとセッションとか、話し合いをしてるうちに、これはこうへい君と会わせたら面白いことになるんじゃないかって。

■最初はそれぞれ別で活動していたんですね

たいげん:そう。で、最後がもんちゃん(ドラム)。もんちゃんは共通のSM女王様がいて......それでライヴに来てくれて、合うんじゃない? って、その後一回みんなでスタジオに入ってこれでしっくりきたから、じゃあこれで行こうっていう。

■イギリスにある日本人のコミュニティもそれぞればらばらで、かつ日本の出身地も違うんですよね?

たいげん:うん、僕が東京で、ゆうきが兵庫でしょ、こうへい君は岐阜、もんちゃんは群馬だから日本でのバックグラウンドも違うし、ロンドンでのコミュニティも違ったから、バンドを組む前からの知り合いとかではなかったんだよね。

■当時、メンバーのみなさんはアートスクールに通われてたんですよね?

たいげん:ゆうきはメディア系の学校で、こうへい君は僕が行ってたロンドン芸術大学内の違う大学でイラスト専攻。でも出会ったのは学校でというよりは、友だちの友だちって感じだったかな。メンバー募集とかもしてないし、だから本当に自然に成った感じで、そこはヘルシーというか。あとこれよく言われるんだけど、髪型と服装。各自好きなことをやってるだけなんだけど、どこか共通点はあるし、でもみんなわりかしばらばらでしょ? 単純に好きな格好してるだけで、髪もみんな長いのが好きだったのかなっていう。そういうのも含めていろいろとやっぱり自然な気がするよ。

■たいげん君は高校を出て、イギリスに行くわけですが、当時なぜイギリスを選んだんですか?

たいげん:よくこっちでUKの音楽に興味があったんですか? って訊かれるんだけど、僕は正直現行のUKの音楽、たとえばガレージとか、ブリット・ポップとかまったく興味がなくって、いわゆる興味がなかったからこそ、アメリカよりかは暗いのかなっていう。明るい曲と、暗い曲なら暗い曲のほうが好きみたいな。それくらいの認識だったのかな? もちろんキング・クリムゾンとかレッド・ツェッペリンとかUKで好きなバンドはいっぱいいるよ。とくにクリムゾンは高校のときからコピバンするほど大好きだったんだけど、こっちの音楽学校でまわりがクリムゾンのこと全然知らなくて唖然として(笑)。僕とゆうきはわりかしUKに来た動機が似てて、まず日本の大学にあんまり興味がない→留学を視野に入れる→英語圏の国→当時アメリカの情勢が良くない、それで→UKっていう(笑)。

■僕はアークティック・モンキーズなど、当時のインディ・ロックが大好きなんですが、たいげん君がイギリスのインディ・シーンに興味を持てなかった理由はなんでですか?

たいげん:なんでだろう? 個人的にインディという音楽にあまり興味がなかったのかも。マイナーという意味としても、反産業ロックという意味においても本当に姿勢や音楽的にインディだったバンドがいたのは90年代ぐらいまでなんじゃないのかな? 僕はプロレスが大好きで「インディ団体」の姿勢やプライドが好きだったから、音楽のインディ・シーンを見たときに強烈なこれじゃない感が......。
■〈ストールン・レコーディングス〉との契約の経緯はどういったものだったんですか?

たいげん:スクリーミング・ティー・パーティというバンドと仲が良くて、彼らつながりでストールンの人たちとは以前から知り合いで。最初はライヴに何回か来てくれたんだけど、まあ日本語で歌ってるし、音楽性もいまと少し違ったから契約するか迷ってたみたい(笑)。それでマネージメント的なところから手伝わせてくれない? って言われて。そのあとに回を重ねて向こうからちゃんと契約してEPとアルバム出さないか? って話がきた感じかな。だから「これもすごい自然だったね」っていうのは僕たちもよく言ってて、お互いのこと事前に知ってる状態だったからビジネスとしてだけじゃなくて気軽に何でも話せて、わりかし自由にやらせてくれる、でもしっかりと意見をくれるし真面目な事も真剣の話せる、という良い環境だと思うよ。

■たいげん君の音楽的なルーツを辿ると、プロレスの曲が原点なんですよね? そこからどのように音楽を見いだしていったんですか?

たいげん:幼少期を振り返ってみると、たまに母親が部屋でギターを練習していて、聴こえてくるフォーク・ソングがうるさいなぁくらいに思ってて(笑)、音楽そのものというよりは何かに関連/付加してる音楽が好きで、例えばゲームだったりだとか、アニメだったりだとか、いわゆるサウンドトラックだよね。それで中学からプロレスに興味が出て、ゲームやアニメの音楽からプロレスの音楽に興味が移った感じかな。プロレスの入場テーマ曲ってバンドから打ち込み、ジャンルもバラバラで色々な音楽をジャンルに縛られずに自由に横断して聴けるのは今役に立ってるかも。ちなみに僕のなかでプロレスの入場テーマ曲っていうのはバンド音楽の原体験でもあって、入場テーマ曲で知ったバンド挙げてくだけでも、ブラック・サバスでしょ、レッド・ツェッペリン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、メタリカ、ミッシェル・ガン・エレファント、パンテラもそうか、あとELPもワールドプロレスリング(新日本プロレスの中継番組)のテーマ曲だったり(笑)。

■灰野(敬二)さんなどは海外に出てから知ったんですよね?

たいげん:うん。海外に出て、日本にいたときに知っていた日本のアンダーグラウンド・ミュージックとはまた違う、海外で評価が高い日本の音楽というのかな。灰野さんだったり、メルツバウだったり、ちなみにそのふたつはフィンランドで知ったんだよね。

■メンバーのみなさんそれぞれが違う音楽観を持つなか、当初はどんなサウンドだったのでしょうか?

たいげん:最初はもっとフリーフォームだったかな。リフは決まってるけど、回数とか、構成とかはあんまり決まってなかったし、いまよりも即興だったりだとか、ノイズとかに近い感じだったね。

■ノイズやいわゆるエクスペリメンタル・ミュージックには以前から興味はあったんですか?

たいげん:とくに初期はね。実験的なものって言ったらちょっと変だけど、冷静に自分たちの音がどう変化してきたっていうのを考え直してみると、僕以外はオリジナルの曲を演奏するバンド歴みたいなものが皆無だったのね、しかも僕もBo Ningenの前にやってたバンドはすべてベーシストとしての参加で、ヴォーカルとしてオリジナルのバンドをやるのはBo Ningenが初めてだった。こうへい君とかもちょこちょこ活動歴はあったんだけど、僕が初めて会ったとき彼はまだギター歴2年とかだったし、ゆうきもオリジナル・バンドはこれが初めてで、もんちゃんもしばらくオリジナルのバンドはやってない感じだったんだよね。だからまっさらな状態ではじめられて、だからこそ最初はもっとフリーフォームというか、自由に構成とかも決めずにとにかく音を出していたのは必然で、メンバーの技術的なこととか、経験とかいろんなことが重なってっていまの形になってってるのかなって、だから途中で方向転換しようって感じではなかったかな。とにかく全部ジャムから作ってるのもあるけど。

■僕がBo Ningenの音源を初めてmy spaceで聴いたときに、リリックにも衝撃を受けたのですが、イギリスで活動していくうえで、日本語で歌う迷いなどはなかったのですか?

たいげん:迷いはなかったかな。もちろん不安はあったよ、どういう風に受け取られるんだとうって。でもその時点で自分のなかで英語で歌うって選択肢はなかったかな。単純に自分の表現として即興で歌詞を作ったりするときって、僕は歌詞をあらかじめ紙に書いたりしないから、思ったことを脳から考えることでの変換機能を通さずに口から出したくて。そうすると、もちろん日本語じゃないときもたまにあるんだけど、でもやっぱりなんだかんだで日本語になるんだよね。頭のなかで変換してる時間がないんですよ、英語に。

自分たちの音楽を聴いてるお客さんに対して、自分たちはどういうモノに影響を受けたか、普段どういう音楽を聴いてるだとか、こういう音楽もおすすめだよっていうのは本当に発信していかなきゃいけないことだと思うの......

■以前「リリックなどのすべてのメロディを最初はサウンドとして消化する」と言っていたのを思い出したのですが、そういう自分の聴き方が、曲を書くうえで、たいげん君にどのような影響を与えているのでしょうか?

たいげん:いま冷静に考えてみると、歌詞を見ながらだと歌詞が先に入ってきて、歌詞がよいなと思って音に期待しても、実際に鳴ってる音と歌詞とのギャップを自分のなかで感じることが多かった気がする。最初に聴いた曲で、歌詞カードみなくてもひっかかる歌詞がある曲はひっかかるし、単純に聴いてピンとくるかどうかが問題な気がするしね。あとはプロレスの入場テーマ曲やゲーム/アニメのサントラってインストも多かったから(笑)。

■たとえば「人生一度きり」というあのフレーズは、英語ではなく、日本語であるからこそ響くのかなと思うのですが、実際に現地の反応はどのようなものなんでしょうか?

たいげん:これはすごく面白いんだけど、これは本当にその通りで、外人のお客さんも歌詞の意味がわかんないけど感情的なところで入って来るっていうのはやっぱりあるみたいで、ライヴで見れば僕らの動きがもちろんあるわけで、歌詞がわからないからこそ感情的に、衝動というか、うちらが出してる音もそうだし、なんかいろいろ出てるじゃない? 音以外でも。それをもっとストレートに受け止めてもらえる感じがして、しかもライヴをやって反応を見てるうちにお客さんが「こういうこと歌ってるんでしょ?」とか自分のなかで解釈してくれて、それは言語がわからないからこそで100人いたら100人違う解釈で僕は良いと思ってるし、それでCD買ったときに対訳の歌詞カードに英訳があるわけじゃん? そこで「なるほど」って曲の世界感の認識が変わるのもまた面白いと思う、だからアドヴァンテージとして今いまは捉えてるね、日本語で歌うってことは。単純に僕が英語得意じゃないっていうのもあるけど(笑)。


■Bo Ningenはある種、欧州っぽくもある反面、日本っぽくもあるというか、その逆も言えるのですが、そういうバランスみたいなものは、ロンドンで活動してるからこそ滲み出る音なのかなと正直に思うのですが、ロンドンで活動することはたいげん君にとってどのような影響を及ぼしていますか?

たいげん:活動してるからっていうのもあるし、日本で活動してる日本人より、日本の良いところ、悪いところ、例えばさっき出て来た、灰野さんだったり、メルツバウみたいな音楽をメインストリームだとか、サブカルだとか、そういうのをまったく抜きにして見れる環境があるからこその視点は絶対あるとは思ってる。その両方の視点っていうのは僕のなかですごい大事で、悪い例を言っちゃうと、日本人のバンドももちろんイギリスにちょこちょこいるわけで、だいたい音楽的に「ウッ......」っていう人は、日本の批判ばっかするわけ。日本の良いところも見えてなくて、そうなるとイギリスの良いところもちゃんと裸眼で見えてるかちょっと不安になっちゃう感じで、こっちの良さも勘違いしちゃってる人も多いのね、そういう意味では両方に良いところ、悪いところ、長所も、短所も、日本も、UKもやっぱりたくさんあるから、僕はその両方をちゃんと見据えるのが大事だと思ってて。
 あとUKのバンドと対バンして、なんかダサかっこいいというか、ダルいのがかっこいいみたいな姿勢のバンドを見る時に「あっ、これをやっちゃいけないんだ」だとか、「僕がかっこよくないと思うのはこういうところか」という風に反面教師的に影響を受けてるとも言えるかな。もちろんそれは日本のバンドに対してもあるよ、個人的にバンドで限って言えば、どちらかというと直接的に影響を受けてるのは日本のバンドのほうが多いのかな? でも日本で活動してなくて、UKのバンドからは反面教師として影響を受けてる......だからちょうど中間にいる感じなのかな?

■ゆうきさんがよく「うちらはイギリスのバンドだから」と言ってる言葉の背景にはどのような意味があるのでしょうか?

たいげん:うちらみたいなバンドが本当に初期から日本で、ずっとアングラでやってたと仮定して考えてみると面白いかも。日本のシーンって一個一個すごいかっこいいと思うんだよね、超突き詰めてるし、ニッチで良いとこ攻めるしさ、しかも同じような音が多いでしょ、ひとつのシーンに。これは悪い意味でも、良い意味でもなんだけど、何系ってすごい好きじゃん、例えば高円寺系だとか、渋谷系だとか。シーンも近くてバンドの音も似てるからバンドもお互いに影響受け合うし、っていうところで、影響受け合う人がすごい近いところにある環境。それはストイックでかっこ良いんだけど、なんかちょっとそれぞれのシーンが閉鎖的な感じもするのね、影響受け合う人もそうだし、なんか同じところでしかまわっていないと言うか。
 もしうちらがまったく同じメンバーで、日本で初期からそういうところで活動してたら、多分まわりの日本のバンドと似たような音になってたかもしれない、っていうところでUKのバンドっていうのをゆうきは意識してるんだと思う。最近BBCのインタヴューで僕たちがチャーチ(教会)でやったライヴについて訊かれたのね、けっこう歴史がある教会だったんだけど、そういう場所で演奏することに対してのことを質問されて、うちらBo NingenはBo Ningenだけれども、その場所に100%支配されるわけでもなく、Bo Ningenがその場所を100%支配するわけでもなくて、でもBo Ningenは100%Bo Ningenだし、歴史があるそのチャーチは100%チャーチなわけ、そこでうまく合わせていく、Bo Ningenのなかでのその場所に対してのリスペクトというか、対応みたいなものがあって、あのライヴが生まれたと思うんだけど、なんかそういう場合ってけっこう、なんていうのかな、わりかし我が強いバンドって言ったら変だけど、プロパーなロック・バンド、例えばガンズ・アンド・ローゼズでもなんでもいいんだけど、彼らがチャーチでやったら絶対どっちかに飲み込まれると思うんだよね、どっちかが強くなりすぎてしまうというか、そういう意味で色々なシチュエーションや場所でやってきた自負はうちらはあるから、『Dazed and Confused』の創立記念ファッション・パーティだとか、ヴェネツィア・ビエンナーレのアート・イヴェントだったりだとか、V&AミュージアムでのYoji Yamamotoのイヴェントとか。そこでしかできないことやいつも通りではできない事があって、それでも100%Bo Ningen出さなきゃいけないっていう、そういう経験はUKだからこそ出来たっていうところは感じてるし、いろんな場所でプレイできて、いろんな業界やシーンをクロスオヴァー出来たのはロンドンで活動してるからってのは思ってるかな。

■しかし、アンダーグラウンドなど、いまはアメリカのシーンに勢いがあると思うんですけど、敢えてイギリスを選ぶ理由や、日本を拠点にしない理由はなんでですか?

たいげん:僕は個人的に日本が大好きで、友だちからも日本が合ってるとよく言われるんだけど(笑)。前の質問でも触れたけど、日本にいないからこその日本人らしさや日本の良さをちゃんと見るためには、まだ日本に帰るのは早い気がする。アメリカは行ったことないから、実感がわかない。だから早く行ってライヴしてみたいな。これも前の質問と同じだけど、イギリスはシーンのクロスオーヴァーも盛んだし、ヨーロッパからいろいろな人やバンドが来たりと良い意味でも悪い意味でも混沌としてるから、音楽に留まらず、全体を見渡した時に表現、活動をする街としてはとても魅力的だよ。
■僕はザ・ホラーズのファリスがインタヴューでBo Ningenを紹介しているのを見つけて初めて存在を知りました。彼らとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?

たいげん:たしか最初はリースとドラムのジョーだったかな? 僕達がダモ鈴木(元カン)をサポートしたときに、彼らが見てくれてて。Bo Ningenはその日Damoさんの前座の演奏後に会場を移動して違う会場で演奏、ダブルヘッダーだったんだけど、彼らはメインのダモさんを見ずに僕たちを見にきてくれて。リースが2回目のライヴ後に話掛けてきて、「すげーよかった、ダモさん見ないで2回みちゃった。俺もバンドやってんだ」って、それで「なんてバンド?」って訊いたらホラーズって言われて(笑)。
 でも本当にUKはそういう感じで、お客さんも本当に幅広くて、なんかアーティストと、お客さん、業界っていうのが凄いクロスオヴァーする環境だと思う。もちろんうちらの音楽だとか、うちらの捉えられかたが普通のこっちのUKのバンドとはちょっと違うからという理由もあるとは思うのだけど、そういう環境っていうのは僕たちにとってすごいプラスになってると思うな。


■つい先日まで行われていた、ザ・ホラーズとのツアーでBo Ningenとして何をいちばん感じましたか?

たいげん:それまでもフェスや、British Sea Powerのサポートで大きな会場でやる機会もあったけど今回は会場の規模がさらに大きくて。しかも1000~3000人規模の会場で毎日演奏できるのは、本当に刺激的だった。とくに最後のBrixton Academyは4000人ぐらい入る会場で、その日のライヴが終わった後、会場の規模とパフォーマンスの関係性みたいなモノを考えさせられたよ。これは教会やミュージアムでライヴするときにも似てるんだけど、会場が違うとパフォーマンスも変わるということと似てるんだけど、小さいライヴハウスでお客さんが目の前にいる場所とBrixton Academyみたいなところだと、舞台とTVぐらい違いがあると思うのね。そこで考えすぎることはないんだけど、熱量の出し方というか、大きな会場の遠くで見れるお客さんまで届かせるためにはどうしたらよいのかなとか。これは無視しちゃいけない問題だなと思った。僕は小さいライヴハウスも大好きだけど、もっともっと大きな会場でも演奏したいから、これはいまの僕がいちばん考えてるとこ。あと、会場によってはほとんどのお客さんがBo Ningenはもちろん、メインストリーム以外の音楽を聴いたことない若い子だったりなんてこともあったから、良い衝撃でもトラウマでも、なにかしら残せた自負はある。ライヴ後にツイッター見てみると「Most Scariest Band ever seen(いままでで一番恐怖を覚えたバンド)」とか、「いま見たものをなんて言えば良いのかわからない......」みたいな意見があったりして(笑)、かと思えば「いま一番好きなバンドになった!」とか「本当にすごかった!こんなのはじめてだよ!」とか、直接的に褒めてくれる人もいたりして嬉しかったな。

■ザ・ホラーズにも似たようなことを強く感じていて、音からもそうなのですが、自分たちが影響を受けてきたものを僕らリスナーにしっかり提示している気がします、そういう目的意識は持っていますか?

たいげん:僕たちもそういう影響力があるバンドに成りたいと思ってて、自分の趣味を押しつけるわけではないんだけども、まあいまは昔とは違うんだけどね、いわゆるメディアとかの影響力は少しなくなってきてるじゃない、まあこれちょっとメディアのインタヴューで言うのもどうかと思うけど(笑)、まあメインストリームのメディアっていう意味だけど。いまって流行りっていうものを作れなくなってきてるじゃない? だからこそメインのメディアで取り上げられないようなバンドが口コミで注目されるようになったり、いままで以上にリスナー個人個人が自分で好きな音楽を見つけたり、そういうのって絶対強いし、それって健全なシーンの作り方だと思うのね、そういうなかでバンドが教育っていったらあれだけど、自分たちの音楽を聴いてるお客さんに対して、自分たちはどういうモノに影響を受けたか、普段どういう音楽を聴いてるだとか、こういう音楽もおすすめだよっていうのは本当に発信していかなきゃいけないことだと思うの、というか僕はしていきたいことなわけで、国民性とかももちろんあるとは思うんだけど、でもこういうのってバンドが発信していくことだと思うのね、自分たちがお客さんに対して自分たちの音楽しか聴かせないか、それとも自分たちはこういうものも聴いてるんだよってところで発信してゆくか、とくに日本のお客さんはシーンやジャンルでの好き嫌いがはっきりしてる人が多い気がするから、バンドが発信していくことでお客さんの音楽を含めたいろいろな興味の幅が広がって、みんながオープンな考え方になれれば最高だよね。それは発信してゆく音楽性とか、パフォーマンスとかにもそういうのは出るから。

■以前TEETHというバンドのインタヴューで、イギリスのレーべルの話になったときに、彼らはイギリスのバンドというよりも、いわゆるインディ・レーべルがいまのイギリスのシーンにとって良くないと言っていました。僕個人として、イギリスも僕らが見えないところで実は面白いことが起きてるんじゃないかと思っていて、アメリカよりも勢いがないと思われてる現状があるなか、そういう部分はフックアップしたいと思ってるのですが、実際のところズバリどうなんですか?

たいげん:僕たちが所属してるストールも規模で言えばインデ・レーベルで、うちらが契約してすぐのときはいまよりもう少しインディ系のバンドが多いレーべルだったんだけど、現在はハープの弾き語りのアーティストがいたり、もっとポップ寄りのバンドがいたり、日本語で歌ってる僕達がいたり、結構所属アーティストが多様化してるイメージだね。それで全体のシーンについてだけど、この流れでこんなこと僕も言いたくないんだけど、正直バンド関係の音楽シーンで面白いところ、すぐには思いつかないかも。

■ではバンドから切り離して考えて、シーンのなかでいちばん勢いのあるものはなんですか?

たいげん:僕が最近すごく思うのは、明らかにクラブのほうが得るものはデカイ  でもいまダブステップっていう言葉が一般的になって、少しチャラくなってるんだよね、ブローステップっていうのかな? ダブステップが出て来たときって、各自いろんな音楽からダブステップに変わっていくアーティストが増えて、たとえばブレイクコアとか、テクノであったりだとか、ガレージであったり、2ステップであったり、ノイズとかね、違うバックグラウンドの人がダブステップというか、低音を強調した音楽を出しはじめてもともとダブステップになったわけで、そうするとみんな楽曲にバックグラウンドが出るんだよね、僕はゴス・トラッドさんがすごい好きなのは、彼のバックグラウンドがよく出てるからで、ノイズであったり、2ステップであったり、ダブ、ドラムンだとかね、そのバランス感覚がすご好きで、しかも日本人だから純血UKのベース・ミュージックと比べるといっそう個性的で。ゴスさんは日本人だけど、わりとダブステップ創世記からいた人でもあるしね。
 でもいま流行ってるダブステップ、ブローステップってまったくバックグラウンドがない気がするのね、自分のルーツをうまく音楽に落とし込めてない気がして。でも、わりかし新しい人でもちゃんとストイックに作ってる人たちもやっぱりいて、特にイギリスのクラブシーンって黒人の移民も多くて、それがダブとかダブステップが生まれる原因にもなったんだけど、単純にクラブのサウンドシステムだとかが日本とまったく違うんだよね、本当に体感系なのよ、僕もそれで低音の概念相当変わったし、自分が信用してるDJやサウンドシステムがいるクラブに行ったほうがライヴハウスとかに比べて断然得るものは多いかな。確かジェームズ・ブレイクとかもその畑出身なんだよね? だからそういうところでの活性化は単純に良いよね、彼もメインに出て来てるし。
■ele-kingが選ぶ、2011年のアルバムランキングではジェームズ・ブレイクが1位でした。彼についてどう思いますか?

たいげん:個人的に声とかは好みじゃないけど、すごい斬新だし、実験的なところをポップ・ミュージックに突っ込んでるところとかすごい良いなとは思ったけどね。アプローチも面白いし、ああいうのがメインのところで評価されるのはやっぱり良いことだよね。

■これはイギリスに限定せず答えて欲しいのですが、現在のシーンで、自分たちと似たようなメンタリティを持っているアーティストっていますか?
たいげん:ももいろクローバーZとでんぱ組.inc! ももクロは僕の音楽の拘りから生まれてたJ-POPやアイドルへの嫌悪や偏見を一掃してくれたと同時に、音楽やライヴ・パフォーマンスに対する姿勢や本気度や全力性に関してはそこらのバンドとは次元が違うというか、もの凄すごいシンパシーを感じます。あと高校生ぐらいの年頃特有の、青春の爆発力や真っ直ぐな姿勢を見てると、自分がなくした感情を思い出したり、自分がライヴでガス欠になったときにブースターになったりする。対してでんぱ組は、ももクロより少しだけ年齢層が高いから僕たちと同じ目線というか、一緒にタイムマシンに乗って失った青春を謳歌しよう! という爆発力がある。対談や対バン、ライヴでのコラボを通して、清秋を拗らせた感じとか、だからこその全力性とか、シーンの壁を壊す姿勢だったりとか、いろいろとシンパシーを感じることが多くて。アイドルに興味がない他のメンバーも競演ライヴ後、凄い良い感触だったみたいで「同志だ」って言ってました(笑)、僕もライヴ後に「これが一生の思い出ってやつか......」って思うぐらい感動したしね。
■先ほど体感という言葉が出てきましたが、僕のなかでBo Ningenのライヴもまさに体感で、いろんな人に是非この感覚を味わって貰いたいのですが、ライヴに関して意識していることや、考えることはありますか?

たいげん:僕、灰野さんのライヴを初めて見たときに泣いてしまったわけですよ、ツーって涙が出るというより、座り込んでボロボロ涙が止まらなくて。なんか浄化というか、体のなかから毒が出たみたいな感覚があって、その経験が僕のなかですご大きくて、演奏する側になったいまでも、その感覚は忘れないよいにしてるし、良いライヴをしたなと思うときは自分で自分が浄化できた感覚になるよ。他にも演奏側が動かなかったらお客さんも動かないっていうこともあるし、自分がそういう精神状態というか、自分も楽しんでなきゃいけないし、自分もいつも新鮮じゃないといけないし、自分も表現できてないといけないし、やっぱりそれができてると自分の心にもうまく左右するわけで、自分がしっかりしてないとお客さんもそれは感じてくれないから、自分もうまくいけばそれは絶対お客さんにも伝わるものだと思ってるから。
 だから100%自分の為にやってるわけでもないし、100%お客さんのためにやってるわけでもないから、そのバランス? でもやっぱり根底では自分が良い音だしてなきゃいけない、自分が気持ちよくなきゃいけない、新鮮じゃなきゃいけない、自分自身が浄化できてるか? それでなにより僕は、他のアーティストのライヴで一番萎えるのは、さっきはダブステップで、バックグラウンドが見えないとか言ってたけど、インフルエンスが出過ぎてるのも萎えちゃうのね、「この人になりたいんだな」っていうのが見えてしまうと、自分のフィルターうまく通してやってればいいんだけど。
 僕は逆に、いかにステージで自分になれるか、いかに自分に嘘をつかないか、っていうところを突き詰めてやってるよ、やっぱりそれが自分が一番力を出せることだし。だからって自分の好きなものからまったく吸収しないわけじゃなくて、自分のなかの自分で何かをいろいろ吸収して、Bo Ningenとか、たいげん かわべというフィルターを通って外に出したものを、お客さんは見に来てるわけだから、そういうインフルエンスっていうのは、雑誌とか、こういうインタヴューで、こういう音楽が面白いとか、おすすめですって提示していけばいい話で、自分たちのステージはやっぱりいかに自分たちであるかというのが大事かな。
 あとライヴって非日常だから、いまこうやって喋ってる自分も素だし、ステージにいる自分も素だし、いまは日常で、ステージが非日常っていうのはお客さんも一緒だし、シュールレアリズムも含めて僕は非日常ってものにすごくどきどきするし、魅力を感じるから、ちょっと抽象的だけど、そういうところは出していきたいかな。非日常だからこその体験だし、でもそれはお客さんがいかに感じれるかって、うちらがどう感じてるかと同じだと思うんだよね、演奏してる側が少しでもつまんねなーとか感じてたら絶対お客さんに通じると思うんだよねそれって、だからこそうちらは毎回セットリストとかは変えてて、会場の雰囲気とか合わせるのもあって直前まで決めないことのほうが多いね。

■Bo Ningenのライヴ・パフォーマンスとしての可能性についてはどう考えますか?

たいげん:ライヴってジャンルを超えれるパワーがあるし、頭通さなくてわかるものはわかるというか、よくうちらのライヴ見てくれたお客さんの感想で、5感、6感全部使うっていう話をよく聞いて、ライヴ見ることを体験と捉えてくれることによって音源じゃ伝わらない部分まで伝わると思うんだよね、そこはBo Ningenだからこそっていう意識はあるし、捉え方は人それぞれだと思うんだけど、可能性を広げるというか、見てくれてる人の幅というか、ジャンルとか、年齢層とか幅が広がれば広がるほど感じ方もそれぞれ何100通りもわかれると思うから、見に来てくれた人の分だけ違う受け取り方があるわけだよね? 何かそれ自体が可能性って気はするよね。どういう可能性があるっていうよりかはどんだけいろんな可能性を増やせるかって可能性(笑)? っていうのかな。

■なるほど、では最後にセカンド・アルバムについての現在の制作状況を教えてください。

たいげん:楽器とヴォーカルの録音はすべて終わっていて、いま僕がミックス作業をしているところだよ。

■ありがとうございました。メンバーの皆さんに感謝です1

 今回のインタヴューで彼らに興味を持った方は、今夏の来日公演に是非足を運んで欲しい。7月20日の東京は高円寺 UFO CLUBを皮切りに、22日 仙台 CLUB SHAFT、8月3日 大阪 FANDANGO、4日 名古屋 アポロシアター、5日 金沢テトラポット、6日 京都 METRO、そして最終日には東京に戻り、代官山UNITでの来日公演を予定している。


Biography
Bo Ningen(棒人間)は、イギリスの〈Stolen Recordings〉に所属する日本人4人組で、2009年に限定リリースしたEP『Koroshitai Kimochi』でデビュー。昨年には国内版アルバム『Bo ningen ボー・ニンゲン(棒人間)』と、EP『Henkan』をリリース。ライヴ・パフォーマンスは国境を超え、見る人すべてを虜にし、脳髄に衝撃を与える。今年はザ・ホラーズともにツアーをまわる。最近はダモ鈴木とのコラボレーション・アルバム『Foreign Affair Confidential 』を発表したばかり。この夏には再来日公演が決まっている。

維新・橋下徹氏と松井一郎氏の衆院選出馬断念の影に創価学会

http://www.news-postseven.com/archives/20150611_328100.html
SAPIO ポストセブン 2015.06.11 16:00

橋下徹・大阪市長は昨年の衆院選で出馬を検討していた。大阪都構想に反対する公明党に対して怒り心頭に発したため、公明党が議席を持つ選挙区に自ら刺客になろうとしたのだ。しかし、水面下での菅義偉・官房長官の働きかけで出馬をとりやめることになったという。何が起きていたのか。連載「総理の影 菅義偉の正体」でノンフィクション作家の森功氏が迫る。(敬称略)

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 五五年体制の下、中道を謳ってきた公明党が、政権与党入りすべく自民党と連立を組むよう舵を切ったきっかけは、九八年七月の小渕恵三内閣の発足だった。以来、十五年以上の長きにわたり公明党や創価学会との窓口になってきたのが、自民党の現総務会長である二階俊博や大島理森、引退した古賀誠といった古手の自民党の重鎮たちだ。創価学会幹部が解説する。

「なかでも創価学会に最も太いパイプを築いてきたのが、二階さん。自自公連立のとき、自由党の小沢さんの側近として汗をかき、連立に奔走した立役者です。公明党の市川雄一元書記長と小沢さんの「一一ライン」がクローズアップされましたが、もとはといえば創価学会の西口良三副会長が小沢さんや二階さんに協力した。二階さんはそこから自民党に出戻り、自民党内で右に出る者のない創価学会との信頼関係を築いた」

 大阪出身の西口良三は名誉会長の池田大作の運転手から引き上げられ、創価学会副会長になる。七七年以降、関西長や総関西長という肩書を得て、国政、地方の選挙を問わず、関西の学会・公明組織を動かしてきた。常勝関西の「西口王国」を築いて関西創価学会のドンと呼ばれ、池田大作の揺るぎない信任を得てきたともいわれる。

 西口は、〇九年八月の総選挙で北側一雄や冬柴鉄三といった現職の六議員が相次いで落選した責任をとって、総関西長の座を退き、創価学会の副理事長に就く。

 そんな西口王国凋落の最大の要因が池田大作の不在だ。折しも〇九年の総選挙と同時に、名誉会長の重病説が流れ始める。これまでも何度か死亡説などがあったが、実際にこれ以降、池田は表舞台に登場しなくなる。

 名誉会長の不在が、創価学会内部の権力構造を変え、自民党との関係も再構築されていく。先の創価学会幹部が続ける。

「学会内部のキーマンが、秋谷栄之助前会長であり、佐藤浩副会長でしょう。それまで秋谷前会長は池田名誉会長から外され、実権を失っていました。そのため、現在の原田稔会長や正木正明理事長、西口総関西長が、自民党の二階さんや古賀さん、大島さんたちと選挙態勢をつくり、協力し合ってきました。

 しかし池田名誉会長の不在で、秋谷前会長が復活していった。そうして学会本部の秋谷前会長を中心に、弁護士の八尋頼雄、自民党の菅官房長官に近い谷川佳樹、佐藤浩という学会の実力副会長のラインが主流を占めるようになっていったのです」

 そこから菅が創価学会の新たなカウンターパートとして浮上したのだという。創価学会内部の権力構造の変化は、さらに鉄の結束を誇ってきた関西の「西口王国」を直撃した。学会幹部が補足する。「東京・信濃町の学会本部では、関西の責任者として新たに池田名誉会長の長男、博正さんを関西最高参与という肩書に就け、西口さんを外して組織をつくりなおそうとした。西口王国に切り込んできたといえます。それが、今度の大阪都構想を巡る駆け引きに反映されているのです」

 もともと西口は反維新として知られた。とうぜん橋下の唱える大阪都構想にも反対してきた。大阪府議会や市議会における公明党議員団の反維新の方針も、西口の意向を受けてきたと言っても過言ではない。

 一方、そこに異を唱えたのが、東京・信濃町の新たな創価学会主流ラインだ。再び学会幹部が補足する。

「橋下の勢いを恐れたことも否定できませんが、それだけでもない。学会内部でもともと維新に対して主戦論を唱える強硬派が、現在の原田会長と正木理事長ライン。それに秋谷前会長、谷川副会長ラインが対抗したともいえます。

 そこで、菅官房長官を頼り、橋下・松井(一郎・大阪府知事)の衆院選出馬断念を交換条件に、住民投票の賛成に転じさせたのでしょう」

 これが、昨年十一月の橋下徹たちの衆院選出馬断念の舞台裏事情なのだという。副会長の谷川は次期会長の呼び声が高く、近頃メキメキと頭角を現してきた。その腹心の政界担当者が佐藤浩で、安倍政権下、着々と官房長官の菅とのパイプを築いてきたとされる。そして菅・佐藤ラインで、橋下や松井を説得したという。

 公明党の方針転換は、維新の会の橋下はもとより、菅にとっても悪い話ではない。仮に、住民投票を実施できなければ、都構想そのものが雲散霧消してしまうからだ。橋下人気で住民投票を可決できれば、さらに安倍政権と維新との連携に拍車がかかる。菅はそう睨んだからこそ、維新にエールを送ってきたのだろう。

 ちなみに十二月二十三日には、橋下と松井がそろって信濃町の創価学会本部を表敬訪問している。それはむろん菅の了解した上での話だろう。
 
※SAPIO2015年7月号

創価学会 関西のドン死去で大作氏から長男への世襲が話題に
http://www.news-postseven.com/archives/20150325_311422.html
2015.03.25 16:00 ※週刊ポスト2015年4月3日号
3月15日、創価学会副理事長で元総関西長の西口良三氏が急性肺炎で死去した(享年76)。政治評論家の浅川博忠氏が語る。

「選挙の実働部隊となる婦人部から人望が厚く、関西の公明票を取りまとめてきた人物です。小沢一郎氏など政界と太いパイプを持ち、新進党の結成や解党、自公連立に大きくかかわっていました」

 西口氏は創価学会の“関西のドン”として知られ、学会の大阪長、関西長などを歴任。関西の組織を30年以上引っ張ってきた。

 学会内では今年87歳になった池田大作・名誉会長の右腕として「常勝関西」と呼ばれる強固な地盤を築いた立役者と位置づけられてきたが、公明党が大阪・兵庫の6小選挙区で全敗した2009年夏の衆院選直後の人事刷新で総関西長を退任。組織運営の一線を退き、その後は副理事長の肩書きを持っていた。

 一つの時代の終わりは次の時代の始まりでもある。西口氏の死去を受け、学会関係者の間で池田大作・名誉会長から長男の博正氏(61)への“世襲”が近くなったと話題になっている。

 博正氏の現在の肩書きは副理事長兼SGI(創価学会インタナショナル)副会長。西口氏が総関西長を退任したあとは「関西最高参与」に就任した。

「『関西最高参与』は名誉職的な肩書きで実務は別の幹部が担当していますが、2009年衆院選で大敗北した関西を立て直したのは博正さんの力があったからでしょう」(東京の古参会員)

 公明党は2012年選挙で大阪・兵庫の6議席を確保。昨年から創価学会では西山雄治・関西総合長と山内洋一・関西長の新体制が発足し、昨年12月の衆院選でも同様に議席を守った。

 その功績に加えて、博正氏は近年では池田名誉会長の名代として全世界を飛び回っている。2012年1月には北京を訪れ、李克強・副首相と会見。同年6月には台湾で馬英九総統に会って2期目の総統就任を祝った(肩書きはいずれも当時)。

 2013年には、タイ国立タマサート大学から池田名誉会長に贈られた名誉哲学博士号の授与式に代理として博正氏が出席し、謝辞を代読した。そうして海外要人にもお披露目しているだけに「博正氏が次のトップ」であることは確実視されているのだ。

 創価学会広報室は、「当会では、いかなる役職であれ世襲することはございません」と答えたが、果たしてどうなるか。

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