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戸田会長の次男の葬儀は日蓮正宗、創価学会幹部も出席したのですか?

ヤフー知恵袋より転載
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11115961666
2013/11/504:36:07

ベストアンサーに選ばれた回答
storaikar01000さん
2013/11/519:02:44
. 『週刊新潮』2013年2月14日号によると以下。

中興の祖「戸田城聖」の長男没して未亡人が語った「創価学会と無関係」 投稿者:戸田聖城
投稿日:2013年 2月19日(火)15時02分38秒 通報 返信・引用
創価学会からすれば、動揺が避けられず、ひた隠しにするほかなかった。年明け早々、2代会長「戸田城聖」の長男が没した。本来、学会あげての追悼になってもおかしくはないのに、 一部の幹部にしか知らされなかったという。それは、未亡人(73)が、不倶戴天の敵である日蓮正宗の僧侶に葬儀を取り仕切らせたためだった。

中興の祖と言われる戸田城聖2代会長の長男・喬久氏が、77年の生涯を閉じたのは、今年1月4日のことである。
創価学会の元幹部が言う。
「通夜と告別式は5、6日に港区内の彼の自宅マンションで行われました。その際、池袋の〝常在寺〟という日蓮正宗のお寺から2人の僧侶が呼ばれ、お経をあげて戒名を授けた。そこは、戸田城聖が日蓮正宗に入信したお寺で、戸田家の菩提寺なのです」
戸田2代会長は、戦前の宗教弾圧で弱体化した組織の再建に尽力し、政界進出も成し遂げた功労者だ。その子息の葬儀が、創価学会の標榜する〝学会葬〟(友人葬)ではなく、敵対する日蓮正宗の宗派で行われては、学会員が動揺をきたすのは火を見るより明らか。
「しかも、葬儀を取り仕切った2人の僧侶は、日蓮正宗から創価学会を破門にし、池田大作を永久追放した阿部日顕第67世法主の実の息子とその孫だったのです。これでは、戸田先生の後継者として、池田大作の正統性が否定されたも同然です。そのため、喬久さんが亡くなったことさえ、未だに一般会員に知らされていません。ただ、戸田先生を慕う副会長クラスの古参幹部らがこっそり参列していたそうですけどね」(同)
戸田家と創価学会の間で、何があったのだろうか。

〝池田さんに渡した〟

戸田2代会長が死去したのは、1958年。その後を継いだ3代目が、池田大作現名誉会長であることはご存じの通りだ。
元幹部が続ける。
「創価学会は、日蓮正宗の本山。大石寺と対立し、91年に破門されると、常軌を逸した口汚い言葉で宗門攻撃を繰り返すようになった。戸田先生の奥さまである幾さんは、夫が手塩にかけた創価学会が、単に池田名誉会長を崇める〝池田ファンクラブ〟のように変質していくことに怒りを隠せませんでした。00年に、彼女は89歳で亡くなりますが、日蓮正宗の信仰を最後まで貫き、遺言は〝葬儀は常在寺で〟だったのです」
すでに、喬久氏の母親から、創価学会を拒んでいたわけだ。喬久氏は慶応大
学を卒業し、三菱銀行で働く銀行マンだった。 一時、創価学会で、〝顧問〟
に取り立てられたものの、幾さんの亡き後、常在寺には度々お参りに訪れていたという。
喬久氏の未亡人に話を伺うと
「主人は糖尿病を患い、入退院を繰り返していました。遺言はありましたけど、葬儀を常在寺にお願いすることは、それよりもずっと前に決まっていたことです。義父母ともにそうでしたから。主人は創価学会について沈黙を守り続けた。ですから、私から何も申し上げることはありません。とっくの昔に池田さんに渡したものですし、継いだわけでもないので、主人は自分の道を歩みました。創価学会と戸田家は無関係です」
体調不良が伝えられ、ここ最近、公の場にまったく姿を現さない池田名誉会長だが、中興の祖の親族からもソツポを向かれてしまっていたのである。

~引用終わり~


誰かは知りませんが「お忍び」で行ったのでしょう。

そもそも戸田夫人(幾さん)の葬儀にすら「参列を許されなかった池田大作」、幹部とて批判対象の日蓮正宗の葬儀に「創価学会として」堂々と出る訳行かないでしょう。
出たら嫌がらせにしか見えないでしょうね。


しかも創価学会の公式サイトにおける戸田城聖の紹介には「日蓮正宗の語句」すら無い、まるで日蓮正宗の信徒組織であったことが無かったかのような口振りですね


~以下一部抜粋~

第二代会長 戸田城聖
略歴青春時代人生の師との出会い国家による弾圧と覚醒学会の再建へ 会長就任平和への叫び永遠の三指針
略歴・再建に立ち 創価の基盤を築く


第二代会長 戸田城聖 1900年(明治33年)2月11日、石川県生まれ。北海道での教員生活を経て上京し、牧口常三郎に師事した。1928年(昭和3年)、日蓮大聖人の仏法に帰依。1930年(同5年)、牧口とともに「創価教育学会」を創立し、理事長として教育改革、宗教改革に尽力。1943年(同18年)、宗教・思想の統制を図る軍部権力に検挙・逮捕され、2年余の獄中生活を強いられた。出獄後、「創価学会」と改称し、再建を開始。1951年(同26年)、第二代会長に就任して組織を整え、7年足らずで75万世帯に拡大した。

~続きは以下~
http://www.sokanet.jp/info/president/toda.html

注)ヤフー知恵袋より質問とご意見を転載、現在はその仏壇やさんには公明党のポスターが貼ってありました
2008/11/309:53:36 
日蓮正宗、池袋にある常在寺の前には、創価学会の仏壇屋さんがありました。三色旗が掲げてあります。
トラブルとか起きないのでしょうか?
宜しくお願いします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320369128

usanginginさん
2008/11/412:16:11
いや、今のところは大きなトラブルとかは無いとは思いますが、池袋に限らず、あらゆるところにあります。どう考えても、仏具屋として経営が成り立たないような場所でも、特に寺院の正面にでーんと構えていますね。そして、日顕上人等を誹謗中傷するビラが大きく貼られています。他者様の回答にもあったように、「監視役」ですね。「今日は、今月は、この寺院でどのような行事等が行われるのか」を監視し、上層部に報告を挙げるのでしょう。

また、破門された以降、創価学会会員の方々は、挙って宗門寺院から遺骨や墓石を撤去しましたが、不思議なことに幾つかはそのまま残されてもいます。そして、何かの会合や行事がある日に限って、お墓参りにこられる会員の方々を多く見ます。無論、具体的、直接的になにをするわけでもありせんが、一種異様な光景であることは常日頃から感じていたことです。「何故、これほど嫌い、憎む宗門寺院に、大切なご先祖を埋葬しているお墓を、未だ以て残しているのか」。疑問に耐えません。

当然ですが、宗門寺院もその方々からの申し出が無い限り、一方的に「出て行ってくれ」「撤去してくれ」とはけして言いません。何もしませんし、何も言いません。何故ならば、その方々が如何なる意図をもってそのような行為に及んでいたとしても、結局は日蓮正宗との仏縁は、寺院に足を踏み入れている現実からも厳然として「生きている」からです。その「最も大事な仏縁」を断ち切ってしまうことは、けしてあってはならないことなのですね。
以下リンク先
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