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川崎中1殺害三か月「俺はやってない」一人完全否認を貫く少年

注)週刊文春5月28日号より転載させていただきました。
週刊文春は特定の団体や集団とだけ仲がいい、悪いという雑誌ではないようです


川崎市立大師中学一年の上村遼太君(当時13)が多摩川の河川敷で殺害された事件から約三か月が過ぎた。
家庭裁判所が主犯のA(18)、自称職人B(18)、無職のC(17)の検察官送致(逆送)を決定したのは
5月12日のことである。

司法担当者が解説する。
「非行事実は2月20日深夜2時頃、遼太君の首や顔などをカッターナイフで切り付け
出血性ショックにより死亡させたというもの。
Aは殺人ですが、BとCは遼太君を殺害する動機が見当たらないことから、
傷害致死で逆送されています」
家裁の決定書を紐解くと、三人の役割について、Aは「主導的立場」
Bは「ナイフを提供した」Cは「(遼太君を)呼びだした」と記されている。だが、「まさに異例ずくめの少年審判だった」と
述べるのは、ある司法関係者である。
「少年審判が開始されたのは3月19日。供述が一致しているAとCが併合で行われ
Bのみが単独で行われた。三人の裁判官による合議体で行われ
検察官の立ち会いがあり、証人尋問も行われました。少年たちは他の少年の審判にも出廷し
裁判官が矛盾点を質問していくという形でした」
横浜家庭裁判所川崎支部庶務課の担当者が話す。
「一般論ですが、通常、非行事実を(少年全員が)認めていれば証人尋問は行われない。
重要な事実が少年たちの間で食い違っていたため、手続き的に証人尋問を行ったということです」
前出の司法関係者が言う。
「証人尋問は4月6日、7日、10日の計三回ありました。
家裁ではなく、彼らが入所している少年鑑別所内の部屋で行われた。
その後、4月下旬にそれぞれ証人尋問が行われました」
そこで浮かびあがったのは、「ほぼ完落ち」のAとは対照的なBの強かさだった。
「Bは、「近くで見ていただけで暴行も切り付けもしていない」と主張。しかし、
他の二人は証人尋問で「Bもやった」と証言している。さらにBはカッターをAに渡したことすら、
認めていないのです」(同前)
誰からも慕われる遼太君に対する恨みと嫉妬を募らせて殺意を持ったAだが、
実はもうひとつの要因があったという。
「Bとの関係です。Aの供述によると、当日の河川敷でBは遼太君に暴行を加えるAに対し
「それで終わり?」と挑発的な態度を取ったといいます。
AはBへの対抗心もあり、その一言で歯止めを失ったという見方もあります」(同前)
そんなBの態度は逮捕後、奇妙な変遷を辿った。
「最初は号泣していたが、次第に態度は硬化し、結局、調べでは勤務先すら言わなかった。
ある捜査員は「18歳とは思えない。いまどき暴力団でもあんな肝の据わったヤツはいないよ」と
漏らしていた」(捜査関係者)
現在、Bの母は現実逃避するかのようにパチンコに打ち込み、兄は時折、近所の居酒屋で
事件を起こした弟への不満をこぼしているという。一方、遼太君の母親の友人はこう語る。
「四月上旬、上村家は母親の交際相手の仕事場がある横浜市に引っ越し、
今は誰にも居場所を伝えず、ひっそりと暮らしています」
事件現場の河川敷には、三か月が経過した今も献花に訪れる人が絶えない。
35ページ
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