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広島の平和宣言 「武力に依存しない安全保障の仕組みを」(全文)

注)70年前、原爆で亡くなられた多くのかたがたのご冥福を祈ります。
二度と核兵器が使われることのないよう願います。

広島の平和宣言 「武力に依存しない安全保障の仕組みを」(全文)
The Huffington Post | 執筆者: HuffPost Newsroom
投稿日: 2015年08月06日 09時10分 JST 更新: 2015年08月06日 10時05分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/05/hiroshima-peace-declaration_n_7944714.html
広島市中心部に原爆が投下されてから70年となる8月6日、広島市の平和記念公園で「平和祈念式典」が開かれ、原爆が投下された午前8時15分に参加者が黙禱、約14万人の犠牲者の冥福を祈った。

広島市の松井一實市長は、平和宣言の中で、「武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません」と述べ、「為政者が顔を合わせ、対話を重ねること」の必要性を強調した。全文は次の通り。

****

私たちの故郷(ふるさと)には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。

辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。

「広島をまどうてくれ!(元に戻してくれ)」これは、故郷(ふるさと)や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。

広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛みしめたいと思います。

しかし、世界には、いまだに1万5千発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。

当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない。」と訴えます。当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ。」と強調します。

辛く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。

人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道性の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取組も始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。

被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取組を強化するとともに、加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。

今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。

来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。

平成27年8月6日
広島市長  松井一實

広島「原爆の日」で平和記念式典
8月6日 8時46分 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150806/k10010179961000.html
人類史上初めて核兵器の惨禍に見舞われた広島は、原爆投下から70年となる「原爆の日」を迎えました。広島市で行われた平和記念式典で松井一実市長は核兵器を「絶対悪だ」としたうえで、「核兵器禁止条約」の交渉開始に向けた流れを加速させるため全力で取り組む決意を表明しました。式典は広島市の平和公園で午前8時から行われ、海外から過去最多となる100か国の代表を含む、およそ5万5000人が参列しました。
式典では、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、5359人の名前が書き加えられた29万7684人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。そして、原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうし、原爆で亡くなった人たちを追悼しました。
このあと、広島市の松井市長が「平和宣言」を読み上げました。松井市長は「私たちの故郷には温かい家族の暮らし、地域の絆、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。そのすべてが一発の原子爆弾で破壊されました」と述べました。
そのうえで「『非人道の極み』、『絶対悪』である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます」と誓いのことばを述べました。
さらに「武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます」と呼びかけました。
このあと安倍総理大臣があいさつし「わが国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、ことし秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出します」と述べました。
原爆投下から70年となった被爆地・ヒロシマは原爆の犠牲者を追悼するとともに、国の内外に平和な世界の実現に向けたヒロシマの誓いを発信する節目の日を迎えています。


広島「原爆の日」に100カ国の大使ら参列
2015/8/6 20:24 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM06H7V_W5A800C1FF2000/
70回目の「原爆の日」を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園には外国人も多く集まり、平和への祈りをささげた。平和記念式典には米国のケネディ駐日大使ら、過去最多の100カ国と欧州連合(EU)の代表が参列した。山口市で開催中の世界各国のボーイスカウトが集まる行事に参加中の134カ国の134人も式典に参席した。

 各国の首脳らも70回目の「原爆の日」に声明やコメントを寄せた。EUのモゲリーニ外交安全保障上級代表は「広島と長崎の被爆者が、原爆投下の最後の被害者となるべく、我々は責任を負っている」との声明を出した。インドのモディ首相はツイッターに「広島・長崎への原爆投下は戦争の恐ろしさと人類への影響を思い起こさせる」と投稿した。

広島原爆の日:式典終了後に安倍首相「非核三原則を堅持」
毎日新聞 2015年08月06日 11時39分(最終更新 08月06日 11時56分
http://mainichi.jp/select/news/20150806k0000e010213000c.html
安倍晋三首相は6日、原爆投下から70年を迎えた広島市で開かれた平和記念式典に出席し、あいさつで「非核三原則」に触れなかった。平和記念式典には1994年以降、歴代の首相が出席してあいさつしているが、国是とされる「非核三原則」を盛り込まなかったのは初めて。式典終了後、被爆者代表からの要望を聞く会では政府の基本的な考えとして「非核三原則を堅持する」と述べた。
 安倍首相の式典出席は3年連続で、2007年の第1次政権を含めた過去3回は「非核三原則の堅持」に触れていた。
 今年のあいさつでは「唯一の戦争被爆国として、現実的で実践的な取り組みを着実に積み重ねていくことで『核兵器のない世界』を実現する重要な使命がある」と表明し、核保有国と非保有国の双方に引き続き協力を求めていくと述べた。

 一方、参院で審議中の安全保障関連法案については、あいさつの中では触れなかった。「要望を聞く会」では、被爆者団体からは「内容も手続きも憲法に違反している」などと批判の声が相次いだ。7団体は共通の要望として「長年の被爆者の願いに反する最たるもの」と指摘し、安保法案の撤回を要求した。
 安倍首相は「平和国家の歩みはこれからも変わらない。不戦の誓いを守り抜く」と述べた上で、安保関連法案について「戦争を未然に防ぐために必要不可欠だ」と理解を求めた。

非核三原則
 日本が国是とする、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という三原則。1967年12月、当時の佐藤栄作首相が国会答弁で表明。71年11月、沖縄返還協定に関連し、衆院本会議で政府の非核三原則順守について決議した。



【戦後70年】雲一つない広島に、原爆は落とされた 1945年8月6日はこんな日だった
The Huffington Post | 執筆者: 吉野太一郎
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/04/news-august-6_n_7930770.html
投稿日: 2015年08月06日 07時10分 JST 更新: 2015年08月06日 10時15分 JST
8月6日午前0時、南太平洋、マリアナ諸島のテニアン島で、アメリカ軍第509混成部隊の隊長、ポール・ティベッツ陸軍大佐は、乗員休憩室で、26人の飛行士に訓示した。
「いま我々が落とそうとしている爆弾は、これまでの爆弾とは違うものだということをよく覚えておいてほしい」
ここでもティベッツ大佐は機密保持のため「原子」や「核」という言葉は、一度も使わなかった。言ったのは、この爆弾が「非常に強力」で「戦争を終結させる力を持っている」ことだけだった。

従軍牧師ウィリアム・ダウニーが、今回のために特別に作った祈りの言葉を唱えた。「全能の神よ。彼らをお守りくださるように祈ります。そしてあなたのお力に助けられて、彼らが戦争を早く終わらせることができますように」
乗組員への説明会は15分で終わった。
マリアナ諸島や沖縄、硫黄島から飛び立ったアメリカ軍のB-29はこの日も、佐賀市や兵庫県西宮市、前橋市などに爆弾の雨を降らせていた。
午前1時37分、3機の気象偵察機が広島、小倉、長崎を目指し、テニアン島を離陸した。
午前2時45分、重さ5tのウラン235b爆弾「リトル・ボーイ」を積んだティベッツ少佐の「エノラ・ゲイ」もテニアン島を離陸した。

午前6時40分、エノラ・ゲイは日本に接近し、予定高度3万フィートへ上昇を始めた。

◇◇◇◇◇

広島上空は、雲一つない青空だった。

エノラ・ゲイを先頭とする3機のB-29が広島市内上空に入った午前7時09分、空襲警報のサイレンが市内に鳴り響いた。多くの市民が慌ただしく防空壕に駆け込んだ。
B-29の部隊が旋回しながら、一部の戦闘機が離脱していった午前7時31分、空襲警報は解除された。
一方、広島市の東、西条市では、監視兵がエノラ・ゲイと後続機の不自然な旋回を見つけ、広島の通信司令部に電話をした。
午前8時13分、再び空襲警報が発令された。
8時15分、エノラ・ゲイは、広島市中心部の相生橋にさしかかった。
爆弾倉の扉が開いた(*1)。
青木美枝さんは当時23歳。縁談が来て国民学校(小学校)の教員を辞めた直後だった。広島市中心部から2キロほど離れた自宅にいた。
「洗濯でもしなくちゃ」と空を仰いだ瞬間でした。ピカーッと、マグネシウムどころじゃない、その何億倍もの光が目の前を走りました。ガラガラと家が崩れ、土煙が落ち着くと、4歳下の妹、久枝ががれきに埋もれていました。両親の声はしませんでした。

きっと爆弾だ。助けを呼ばなくちゃ。壁に穴を開けて外に出ると、広島市内は見渡す限り家が一軒もなくなっておりました。「誰か、誰か」と裸足で呼んで駆け回りましたけど、「熱い、熱い」とぼろ切れのような皮膚を垂らして歩く人はまだ元気な方。目を見開いた死体が、そこらじゅう転がっておりました。

いったん家に戻ると妹は「お姉様、私にかまわないで逃げて」と言います。やっと通りすがりのおじさんを捕まえたとき、家は火の手に包まれていました。「ここにいたら死んじゃう。あきらめなさい」。おじさんは逃げました。私は何度も振り返り、ごめんね、ごめんねと、拝みながら逃げたのでございます。(*2)

人類史上初の原子爆弾(原爆)は、地上600mの上空で炸裂し、中心温度100万度の火の玉をつくった。爆心地周辺の地表の温度は3000~4000度に達したという。爆心地から1.2kmの範囲内では、その日のうちに約5割が死亡した。1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されている。エノラ・ゲイの機尾付近に座っていた写真撮影手ジョージ・R・キャロンは、巨大な空気の塊が衝撃波として押し寄せてくるのを感じた。叫んで乗組員に知らせようとしたが、言葉にならなかった。

ティベッツは日誌に書いている。「驚いた。いやショックを受けたと言ってもいい。(中略)わたしが実際に想像したより、はるかに大きい破壊が行われたということだ」

キノコ雲の周りを3回旋回して、エノラ・ゲイと後続機は、午後2時58分、テニアン島北飛行場に着陸した。

数千人のアメリカ将兵や軍人らが着陸を出迎えた。祝賀パーティーがすでに始まっていた。ティベッツと乗員一同は帰還後の報告会議を終えると、すぐに横になって眠ってしまった(*3)。

(8月7日に続く)
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