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正義という名の暴力

http://signifie.wordpress.com/2014/05/14/%e6%ad%a3%e7%be%a9%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e6%9a%b4%e5%8a%9b/



とてもわかりやすい文章を紹介します。

http://www.1101.com/essay/2014-05-14.html

創価の組織にいると常識がどんなものなのかがわからなくなります。二世三世は常識を教えられる前に、創価の非常識を徹底的に心身に叩き込まれるので、そこから脱け出すのも至難の技です。
自分が信じている創価が正しくて、その他はまちがいか劣っているかのどちらかだという視点でしか物事を見れなくなるからでしょう。

上のリンク先にあるように、一般の若者さえ、説得力のある素晴らしい視点で物事を見ることが出来るのに、創価のなかでは宗門を罵倒することで、会員の心をがんじがらめにしています。はたしてこれが宗教と言えるでしょうか。一体創価のどこに信仰者の姿があるのでしょう。創価は宗門を利用するだけ利用して、破門された今でも、また違ったかたちで利用しています。それもみんな池田氏の指令のもとに行なわれてきたことです。おそらく池田氏はもう二度と姿を見せることはないでしょうが、それでも創価学会イコール池田大作であることに変わりはありません。姿を見せない池田氏の言葉よりも、上のリンク先で語っている無名の若者の言葉のほうが、どれだけ人の心に寄り添っているかは明白です。

こんな簡単なことが見えなくなるほど創価は人の心にバイアスをかけている。それは池田氏が会員からいかにお金を吸い上げ、かつ尊敬の念を抱かせ、自分の思い通りの権力をふるうための組織をつくってきたかの証しでしょう。上に紹介した文章にあるように「自分たちこそ正義だ」と思い込んでしまうことは、そのまま相手を否定し、それはいつのまにか暴力になってしまうことを、私たちはよく自覚して戒めなければならないと思います。そして繰り返すまでもなく、創価のMCとは、この「自分たちこそ正義だ」という幻想を信じて、何ものをも否定してしまう野蛮人と化してしまうところだと思います。

それではどうやってその幻想を打ち破ればいいのか。それは自分で気づくしかないわけですが、ここにコメントをくださるほとんどの脱会者の方が体験しているように、どこかの時点で情報を外に求めるということがポイントになると思います。もちろん私もそうでした。常日頃、創価では外部の情報はみなウソばかり。とくにネットを信じてはいけない。あれは正法を妨げようとする魔のはたらきだ。あんなものを信じると罰が当たる。地獄に堕ちる。福運を消す。などと組織は会員に対して必死に情報封鎖をしかけてきました。マスコミまでは金の力で封じ込められましたが、金銭の関わりのないネット上の情報は、さすがにどうにもならないという時代になりました。それだけに創価の慌てようは顕著で、露骨に「ネットを見るな」とまくしたてます。

ちなみにこれはとても有名な創価放送事故の動画です。NHK女子アナのうろたえぶりがハンパないので、いかにマスコミが創価から圧力をかけられているかがわかりますよね。

http://www.youtube.com/watch?v=6xp9vnQLIFc&feature=player_embedded

もうひとつ創価とは直接関係ないですが、創価に疑問を感じかけている学会員さんにとっては、とても参考になると思うので内海聡氏のFACEBOOKからの文章を紹介します。

情報の集め方と考え方

よく講演では指摘することですが、どうやって調べればいいのか、何を信じればいいのか、などと聞かれます。まずは自分で調べるのが一番大事ですが何にも信じなければいいのです。そうやって考えながら調べていけば、自分の中に納得として落ちる部分がやってきます。それを自分の情報として取り込めばいいでしょう。

その時に注意してほしい点がいくつかありますが、まずはある事柄に対して必ず賛成派と反対派の情報を両方集めてください、ということです。たとえば原発問題でいえば放射能危険派と安全派の両方の情報を見てください。そうすると両方の穴がみえてきて自分のとらえ方が確立してきます。たとえば流行りの食べ方についても、マクロビオティックや自然療法系の食べ方と、糖質制限食や先住民食系の食べ方の両方を見てください。それぞれ合う合わないが必ず違いますから、最後は自分の体にフィットするものを選べばいいだけです。


情報を集めるのに大事なことは、自分の経験にだけ固執しないこと、しかし自分の経験も参考にするということです。また二つの対立する情報があるとすれば、両方の情報が間違っていると考えながら調べることです。また、情報は誰かが必ず操作しており、事実などというものがそもそも存在せず、それはたとえ史実であっても人が違えば見方が変わる、というような考え方を前提にして情報を集めるように努力しましょう。

私が最も重要視しているのは大人の心と科学に準拠した心を捨て、素人の心や子供の心を重視して情報を眺めるということです。前者を基軸にするとどうしても常識にとらわれ、洗脳されたメディア情報から脱却することができません。たとえば原発問題で考えたときに、アホな大人たちは経済がどうとか日本の国力がどうとか、そういうことからしか考えませんが、子どもの心から考えれば原発などというものはすべて不要であり、さらに闇が明らかにされた今となれば当たり前のことです。子どもは「原発が爆発したのになんで使うの?大人ってバカ?」しか思っていません。

最後に情報を眺めるうえで大事なことは、枝葉末節の情報ではなく本質や構造的なところから考えようとすることです。こういうのがわからない人は原発は悪だがワクチンは善とか、精神薬は悪だが原発は善とか、まさにトチ狂ったダブルスタンダードを平気で訴え続けます。それらの共通点が理解できれば最後は情報を調べる必要さえなくなるのです。ぜひ多くの方にそういう情報のとらえ方をしてもらえばうれしく思います。

以上です。この中の

『私が最も重要視しているのは大人の心と科学に準拠した心を捨て、素人の心や子供の心を重視して情報を眺めるということです。前者を基軸にするとどうしても常識にとらわれ、洗脳されたメディア情報から脱却することができません。たとえば原発問題で考えたときに、アホな大人たちは経済がどうとか日本の国力がどうとか、そういうことからしか考えませんが、子どもの心から考えれば原発などというものはすべて不要であり、さらに闇が明らかにされた今となれば当たり前のことです。子どもは「原発が爆発したのになんで使うの?大人ってバカ?」しか思っていません。』

は、そのまま

『私が最も重要視しているのは師弟不二の心とか学会精神とかに準拠した心を捨て、人としてあたりまえの心を重視して情報を眺めるということです。前者を基軸にするとどうしても創価の常識にとらわれ、洗脳された創価の情報から脱却することができません。たとえば創価問題で考えたときに、学会員は組織がどうとか師弟がどうとか、そういうことからしか考えませんが、人としてあたりまえの心で考えれば創価などというものはすべて不要であり、さらに闇が明らかにされた今となれば当たり前のことです。普通の人なら「池田さんはボケたのになんで元気だって信じてるの?創価ってバカ?」しか思っていません。』

となります。

今まで創価を信じてきたけれども、なんとなく変だなと思い始めた学会員のみなさん。一度、創価の幻想から離れて、あたりまえの一人の人間として外に目を見開いてみてはいかがでしょうか。もしかしたら自分はとんでもない勘違いをしていたということに一気に気がつくかもしれませんよ。ここにコメントしてくださるほとんどの方もそうした経験をしてきた方たちばかりですし、ほとんどの方から気がついて本当に良かったという声をいただいています。一度でいいんです。外に目を向けて確かめてみてください。それでもやっぱり創価は正しい。池田先生は最高の師匠であり、世界の指導者だと思われたなら、それでいいじゃないですか。自分の人生にますます確信を深められるわけですからね。会合でも自信を持って体験発表ができます。きっと拍手喝采でしょう。地域の会員さんにも自信を持って指導できます。

もっとも、それは創価の中だけの話ですけどね。世間の人はなんとも思ってはいません。池田氏が指導者などともこれっぽっちも思ってはいません。学会は創立何周年になりますか?これだけの長い年月をかけて、これだけの会員数を増やし、これだけのお金を動かしている創価学会が、いまだに世間に何の評価も得られていないことに、会員の誰も疑問をもたないのです。というか学会員だけが学会が世間から評価されていると思い込んでいます。普通に考えればなんかおかしいと思ってもいいと思いますが、それさえない。脱会者がおかしいと指摘すると逆切れしたりする。逆切れならまだいいほうで、完全にスルーして何もなかったかのように振る舞う。それこそが会員がいいようにMCされ搾取されている明らかな証拠です。会員が自分たちの非常識に気づかないでいるかぎり、搾取されつづけ、最後は何もしらないまま不幸なままで死んでいくのだと思います。少しだけ変だなと思いかけている学会員のみなさん、どうか一度だけでいいですから、勇気を出して外に向かって心を開いてみて欲しいと切に願います。

脱会者から見れば、学会員は火事になっていることに気づかずに、家の中で遊びに夢中になっている子どものようなものです。この話、聞いたことありますよね。法華経比喩品での三車火宅の喩です。私たちは外から必死に早く家から出てきなさいと叫んでいるのに、学会員は遊びに夢中になって、自分が死に瀕していることに気づかない子どものようなものです。それでその後のストーリーも当然ご存知ですよね。子どもたちは何によって救われましたか?よく考えてみてください。あなた方が創価の中で戯れていると勘違いしているのは、本当はたいへんな火事の家の中にいることに気づかないでいるようなものです。経文で釈迦はその子どもたちに三車をプレゼントするから出ておいで〜と、いわば美味しい話で外に連れ出します。残念ながら私たちは釈迦ではありませんから、そんな子どもが飛びつくようなおもちゃなど持ちません。ただただ出ておいでと叫ぶことしかできません。

人が縁に触れるには、自ら行動を起こさなければなりません。その行動とは外に向かって心を開くことだと思います。創価の言いなりになって、新聞に財務に選挙と何も考えずに走り回るだけではなく、自分の人生のことについて自分で情報を求め、その情報に基づいて自分で考えることではないでしょうか。組織から与えられた情報だけで一生を過ごすのと、自分で自分の人生を考え決めることとでは、どちらを選びたいですか。少なくとも創価学会員は前者の人生を選んでいるのです。組織から与えられただけの「自分で考えない人生」を選択していることに気がついていますか。

創価ではよく「正義」という言葉をつかいます。あたかも創価の活動が正義だと言わんばかりの繰り返しで、なんとなくそう思い込んでいます。しかしよく考えてみてください。それではあなたは何に対して闘っているんでしょう。学会が言うところの邪宗ですか、あるいは正法を広めようとしたときに立ちふさがる三障四魔ですか。あるいは折伏や新聞啓蒙やFとりが思うようにできない自分と闘っているのですか。財務を出し惜しみしてしまう自分の心と闘っているのですか。それって信仰ですか。

「闘え」と鼓舞されて、いいように煽動されているとは思いませんか。そんなの牧羊犬に追われる羊ではありませんか。それが仏道修行であるという根拠はどこにあるのですか。釈迦は自ら苦行を実践したあげく、苦行では悟れないことを自覚します。そして菩提樹の下で瞑想に入り得度します。学会の言う仏道修行は折伏、新聞、選挙、財務です。それが仏教とは何の関わりのない、組織の上層部に金と権力を集中させるための活動だということに気がつきませんか。気がつかないまでも、なんか変だなと思ったりしませんか。しないならいいです。これからも組織のいいなりになって一生を組織活動に捧げてください。

ただほんの少しでも変だなと思った方は、自分で考えることから始めてみてください。そうしたら今までの自分がいかに何も考えずに組織の言われるままに搾取されて生きてきたかが、瞬時にしてわかるはずです。たとえ瞬時でなくても、そこから今までどうして見えなかったんだろうと思うことがたくさん見えてくるはずです。いままで組織からあの手この手で心を閉ざされてきたのですから当たり前の話です。是非、自分で火事に気づいて家から出てきてください。そうでなければ気づかないまま焼け死んでしまいます。私たち脱会者はそれがよくわかったからこうしてネットを通じて呼びかけています。対話というのも、そのための方法です。対話は自分で考えなければ成り立ちません。自分で考えない人とは対話が成り立たないことは、ここのコメントを読まれたらわかるでしょう。

対話が成り立つ方と成り立たない方との決定的な違いは、自分で考えているかそうでないかです。学会員は自分の考えで発言しているつもりでしょうが、それはみな見事に組織からの受け売りです。うんざりするくらい皆さん判で押したように同じことを言います。自分で考えていない証拠です。そして人の言うことを聞いていません。ですからこちらから創価の矛盾を指摘しても何もなかったかのように平気でスルーします。このブログでも、池田氏がどうして姿を現さないのに何も疑問をもたないでスルーできるのかと問いかけても、まったく打て合う素振りも見せずに、あいかわらず同じようなことを繰り返すだけです。対話にならないのが当然です。自分の言いたいことばかりを言うだけです。自分の言いたいことと言っても、自分で考えたことではありません。組織から植え付けられたことを機械的言うだけです。まるでロボットです。

人は正義の名の下に暴力さえ辞さない動物です。世界中の戦争はその正義のために起こっています。創価もそんな正義を会員にふりかざして団結力と凶暴性を膨らませて盲目にし、金と権力を思いのままにしてきました。正義とは必ずしも良いものではないということをわかっていただきたい。正義のための闘いが時として悪のために利用されるのです。国家間の戦争も、民族間の争いも、みな普通の人が自分たちの正義を押し通さんがために人を殺していき、自爆テロを行います。もともとはみな平和な世界で家族とともに幸せに暮らしたいのは同じです。そこに一部の権力者が対立をつくり、民衆を煽り、憎しみを増幅させ、正義の名の下に闘いを強要します。破邪顕正と煽る軍歌そっくりの学会歌。聖教新聞にしきりに載る「闘い」の文字。異様なまでの宗門バッシング。それはみな一般会員へのプロパガンダそのものです。そのことに気がつかないで、勢いよく戦地に赴き自爆テロを繰り返す学会員。私たちは外からそのように見えています。人は信じるものによってこうも変わるものかと思います。

創価学会は宗教ではありません。宗教を利用して善良な人たちを食いものにしているだけです。どんなに折伏や新聞啓蒙や選挙活動や財務を頑張っても、功徳なんかありません。そもそも功徳欲しさに何かをするなんて、仏教ではありません。この世界はすべて仮のものであり、いっさいは無に等しいというのが仏教の悟りです。功徳にこだわること自体が煩悩そのものではないでしょうか。人間革命だとか宿命転換とかいっても、結局は功徳欲しさに組織の言うがままに操られているだけではないでしょうか。結果は、組織の上層部に使い道がいっさい知らされない会員のお金が集まるだけです。会員に功徳があったかどうかは、単に会員の気持ちの問題です。逆にこの信心をしていれば功徳がある、幸せになれる、お金に苦労しないで済むなどと言っている学会員は、物欲に囚われただけの人にしか思えません。活動をしてもしなくても、いいこともあれば悪いこともある。それが人生です。

信心している人としていない人のどこに差がありますか。阪神淡路大震災や東日本大震災で学会員だけは助かりましたか。それとも助からなかった人は信心が足りなかったのですか。神戸や福島の人はそんなに信心が足りなかったのですか。今後近いうちに来る南海トラフ大地震で、信心していれば助かりますか。そんなことは100%あり得ませんよね。では創価の信仰とは何でしょう。単なる仲良しグループですか。それが魅力で選挙活動や財務を頑張って、読みもしない聖教新聞を一人で何部もとって、見たくもない民音の公演チケットを買うのですか。毎度毎度、学会の書籍を会員さんに売りつけると功徳があるのですか。昔の池田氏の写真ばかりと宗門に対する口汚いバッシングばかりが載っている聖教新聞を、外部の人に勧めてよく恥ずかしくなりませんね。集団的自衛権や秘密保護法について何も知らずに、よく公明党の票をお願いに回れますよね。原発事故で多くの学会員も苦しんでいるというのに、原発再稼働と海外輸出に反対すらしない公明党をどうして支援できるのですか。そもそもどうして公明党が自民党と連立を組まなければいけないのか、学会員は説明できるのでしょうか。

言い出したらきりがないのでやめますが、とにかく創価学会が実際にやっていることにひとつも疑問をもたないということ自体が、何かおかしくないかと一度自分の頭で考えてみていただきたいと思います。そうでなければ、ここでどんなに対話を試みても、なんの意味もないと思います。創価の組織からの代弁者では対話はなりたちません。私は自分で自分の人生を考え生きようとする方との対話をしたいと考えています。ぜひお待ちしています。

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