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人気作家の深イイ話を学会活動と重ねてみた。

注)たまたま名前の出ている角田さんはミッション系中高学校出身ですが、ギタリスト大森さんも青山学院大学など
ミッション系出身でミッション系学校にも昨今いろんな方が通学するので詳細はわかりませんが、
福武書店海燕で新人賞を獲得しデビューということで恩があるのかもしれません。

個人ブログより転載 「隋自意でいく 戦いをやめたら、生命は錆びる」
2012/7/22(日) 午前 0:46
http://blogs.yahoo.co.jp/itudemodokodemo123da/13681009.html
時々、何気なくつけているテレビやラジオから、心に深く響く言葉と出合うことがある。
こういう時はちょっと得した気分になる。
何度も苦労を乗り越えている人の言葉ほど、経験に裏打ちされた人生哲学が見えて楽しい。
NHKテレビ昼、中井貴一さんがナレーションを努めている「サラメシ」という番組で、「八日目の蝉」などで有名な、人気作家の角田光代さんが登場した。
角田さんの趣味は料理。
作家デビューした当初はほとんど料理の経験はなかったそうだが、ある時、全く小説が書けなくなった時期があり、その頃から気晴らしに料理をするようになったそうだ。
そして料理をするようになってから、小説も順調に書けるようになったという。
角田さんは、こう言った。
「小説というのは、『こういうものを書こう』と思っても、なかなか思った通りにはいかないものですが、料理なら、例えば『餃子を作ろう』と思い、決まった手順で作業をすれば必ず餃子ができる。そういう意味で、私にとって料理は物凄く気晴らしになっていると思います。」(趣意)
とても深い言葉だと思った。
「こうしようと思っても、その通りにはならない」「だったら、必ずその通りになる行動をすればよい」これ、学会活動が全部そうだ(笑)。
仏法対話を決意して、相手の反応をあれこれ想像しても、絶対にその通りの反応はしてくれない。
新聞啓蒙を決意して対話しても、予想外の断り文句がほとんど。
メンバーの激励を決意して会いに行っても、予想通りに事は運ばない。
広宣流布の戦いには必ず相手がいるので、予想通りの展開になる事はほとんどない。
そのため、勝利点を「結果」に置くと負けるが、「自分の行動」を勝利点にすれば、決意さえ確かであれば必ず勝てる。
言うまでもなく、「祈り」と「行動」の2つだ。
「祈り」とは、納得するまで相手の幸せを真剣に祈れたかであり、惰性で2時間3時間唱題しても勝った事にはならない。
「行動」とは、不軽菩薩のごとく誠実な対話に終始できたかどうかを勝利点と決めておく。
この「自分の行動の勝利」を重ねれば、必ず結果もついてくる。
何故か。
「折伏をしたい」という執念を持ち、「自分の勝利」を繰り返す。
自分は勝っているわけだから、自信がつく。
そうすると、やればやるほど元気になる。
やればやるほど生命力が上がる。
生命力が上がっているから、いつしか相手の仏界も引き出せるようになる。
池田先生が「私は結果しか信じない」と言われるのは、そういう方程式があるからだと思う。
何も恐くない。自分が勝てばいいんだから。

角田光代wikipeia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E7%94%B0%E5%85%89%E4%BB%A3
神奈川県横浜市出身[1]。捜真小学校[1][2]から捜真女学校中学部・高等学部を経て[3]早稲田大学第一文学部文芸専修卒業[4]。大学では学生劇団「てあとろ50'」に所属[5]。大学在学中の1988年、彩河杏名義で書いた「お子様ランチ・ロックソース」で上期コバルト・ノベル大賞受賞。ジュニア小説というジャンルでのデビューだったが、のちにこれは自分が望んでいたジャンルでは無かったと話している[6]。

大学を卒業して1年後の1990年、「幸福な遊戯」で第9回海燕新人文学賞を受賞し、角田光代としてデビュー[4]。1996年に『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞を受賞したほか、数度芥川賞の候補に挙がった。2005年、『対岸の彼女』で第132回直木三十五賞受賞[7]。『キッドナップツアー』など児童文学も手がけている。
1990年 - 第9回海燕新人文学賞(「幸福な遊戯」)
海燕wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E7%87%95
『海燕』(かいえん)は、日本の月刊文芸雑誌。1巻1号(1982年1月号)から15巻11号(1996年11月号)まで発行された。
版元は福武書店だったが、14巻4号目の(1995年4月)より社名変更によりベネッセコーポレーションとなった。初代編集長は、著名な編集者だった寺田博が務めた。創刊当初は、地方の文学という項目も設けて、埋もれていた才能の発掘に力をいれていた。海燕新人文学賞を主催し、小林恭二・佐伯一麦・吉本ばなな・小川洋子らを世に出した。島田雅彦もこの雑誌から登場した。
だが文芸雑誌全体の不振のなかで、後半は部数も減り、最末期には実売部数よりも新人賞の応募者数のほうが多いと揶揄される状態になり、版元の文芸部門からの撤退に伴い廃刊となった。多くの連載作品を刊行していた福武文庫も、数年後に刊行終了し出版活動も、大きく変更している。

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