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コブクロら育てたワーナー社長首つり自殺 [2010年10月9日9時37分 紙面から]

注)ご冥福をお祈り申し上げます

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101009-688197.html
[2010年10月9日9時37分 紙面から]日刊スポーツ

コブクロや絢香をブレークさせた大手レコード会社、ワーナーミュージック・ジャパン社長の吉田敬(よしだ・たかし)さんが7日午後、都内の自宅で亡くなっているのが見つかった。48歳。首をつった状態で、家族が発見した。吉田さんは最近、うつ病で通院しており、警視庁では自殺とみている。吉田さんはソニー時代の実績が評価され、03年からワーナーの社長に就任。特に邦楽部門の業績アップに大きく貢献した。
 警視庁石神井署によると、7日午後、吉田さんが自宅1階トイレのドアの金具に、ひも状のようなものをかけて首をつった状態でいるのを、買い物から帰宅した夫人が発見。7日午後2時46分ころ、119番通報した。救急隊が駆け付けた時にはすでに心肺停止状態で、午後3時45分ころ、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書は発見されていない。
 吉田さんは妻、子供と3人暮らし。家族によると、最近はうつ病で通院していたといい、同署では自殺とみている。吉田さんの遺体は8日午後5時半ころ、都内の自宅に戻った。葬儀は密葬とし、お別れの会を後日行う。
 ワーナー担当者によると、吉田さんは10月30、31日に同社40周年記念イベントが控えていることもあり「フィジカル、メンタルを含めて検査したい」として、6日から1~2週間の休暇を取っていた。同担当者は「夏ぐらいから急激に体調が悪かったようです。タフな方だったので、気付かなかった」と肩を落とした。
 吉田さんの突然の自殺に、関係者は一様に驚きを隠せなかった。来週には同じ音楽業界の知人との会食予定を入れていたという。自ら他メーカーに共同企画を持ち込むなど、外部から見れば、仕事に対して意欲的だった。別の同社担当者は「元気がない、という様子もなく、5日は普段通り出社していた」と明かした。自殺の理由として思い当たる節は「ない」としたが、「時折、1~2日休むことはあった」としている。
 吉田さんは敏腕プロデューサーとして手腕を発揮し続けた。ソニー・ミュージック時代はTUBEを手掛けた後、平井堅やザ・ブリリアント・グリーンをトップアーティストに育てた。00年にはデフスターレコーズを発足。ケミストリーをブレークさせた。
 ソニーでの実績を買われ、03年にワーナーの社長に就任。コブクロや絢香を不動のトップアーティストに育て、同社邦楽部門の業績は飛躍的に伸長した。今年に入ってからも、コブクロのアルバムやSuperflyのシングルがヒット。売り上げは好調だった。ある大手レコード会社幹部は「吉田さんは時代やニーズを見て戦略を考えた上でアーティストを作り上げる手法を成功させ、今の主流にした人でした」としのんだ。


ベテラン芸能記者が激白「故・吉田敬WM社長は大手芸能事務所・研音に潰された!?」
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20101020/Cyzo_201010_post_5713.html
日刊サイゾー 2010年10月20日 08時00分 (2010年10月28日 08時00分 更新)

真相は闇の中!? ワーナーミュージック・ジャパン吉田敬氏の自殺に思う…。
2010年10月13日 文化通信
http://www.bunkatsushin.com/varieties/article.aspx?id=726
一瞬、絶句した。そして「嘘だろ…」と思った。前代未聞の出来事である。
 ワーナーミュージック・ジャパンの吉田敬社長兼CEOの自殺は、今でも信じられない思いである。
 まだ、48歳の若さである。
 吉田氏は、東京・練馬区石神井の自宅のトイレで首を吊っている所を、夫人によって発見され、都内病院に運ばれたが間に合わなかった。単に「うつ病で通院していた」とか「心の病だったんだろうね」と言ってしまえばそれまでだが、しかし、吉田氏を知る人であれば、自殺するような人ではないことは分かっている。それだけに謎だ。
 吉田氏は、1962年に大阪で生まれた。85年に慶応義塾大学経済学部を卒業し、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社した。97年になるとソニーの社内で「Tプロジェクト」を立ち上げ、その後、デフスターレコーズの設立に尽力した。そこでは平井堅をはじめCHEMISTRY、ザ・ブリリアントグリーンらを育てた。その結果、01年に38歳の若さでソニー・ミュージックエンタテインメントの一部門である「デフスターレコーズ」の代表取締役社長に就任した。
 吉田氏のそういった才能に目をつけたのが当時、ワーナーミュージック・ジャパンの会長を務めていた稲垣博司氏(現、エイベックスマーケティング会長、エイベックスエンタテインメント取締役) だった。人一倍、野望の持ち主だった吉田氏は03年7月に同社を退社し、翌8月に稲垣氏の誘いでワーナーミュージック・ジャパンの代表取締役社長に就いた。
 吉田氏は、ワーナーミュージックに移ったことについて「ハードメーカーの傘下にあるソニーミュージックで、しかも多くのレーベルのある組織の中では、いくら勝っても、勝った実感がしない。気持ちの中に大きな違和感があった」。
 吉田氏はワーナーミュージックに移ってからもボニーピンクやRIP SLYME、コブクロをはじめ絢香、Superflyなど若手のアーティストから新垣結衣などアイドルまで次々に育て上げ「業界の風雲児」とも呼ばれた。
 吉田氏は「基本的に体育会系」でもあった。高校時代は野球部で、甲子園を目指していた。生前「確かに野球一筋だった。甲子園出場は幻に終わってしまったが、目指していたことは確かですね」と語っていた。
 昨年11月に「最高経営責任者(CEO)」となった。業績も悪くはなく順風満帆にも思えたが、今年に入って衝撃的な事件が起こった。覚醒剤取締法違反の現行犯でJAYWALKの中村耕一が逮捕されたのだ。これからと言う時に、裏切られたという気持ちは大きかったはずだ。
 もちろん、それだけが要因になっているとは思わない。経営者としての重荷やプレッシャーは外の人間には分からないものがある。ある意味で孤独なものだろう。まして同社は100%外資である。
 一部には、遺書が残されていたと言われるが、関係者は「ご遺族の意向で控えさせてもらいます」。
 今や音楽業界は、かつてないほどの不況に見舞われている。そういった中で、前述したが、ワーナーミュージックは「厳しい部分はあった」とは言っても、この状況下では「まずまずの業績だった」と思われる。吉田氏も新たな企画で精力的に動きまくっていたとも言われ、スケジュールも詰まっていた。それだけに、単に経営上の問題ではなさそうだ。何か、しっくりしないが、結局のところ真相は闇の中ということになってしまうのであろうか…。
 通夜、告別式は近親者のみの密葬として営まれた。後日、「お別れ会」を行いたいとしている。
 
(渡邉裕二)

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