スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014年のテレビを振り返る(3)── 「美談」「イイ話」にだまされた1年 水島宏明

http://thepage.jp/detail/20141230-00000003-wordleaf
2014.12.30 14:21 the page

2014年はテレビの作り手たちがだまされ続けた1年だったとも言えます。
 一言で表現するなら「イイ話」「よくできた物語」「美談」にひっかかってしまったのです。なぜだまされたのか? その理由を考えていくと、現在のテレビ番組というものがかかえる構造的な問題が見えてきます。
 さて「作られた美談」とは……?
 そう聞いてみなさんがまっさきに心に浮かべるのは「佐村河内」問題でしょう。「全聾の作曲家」「現代のベートーベン」としてテレビ各局が一斉に持ち上げた佐村河内守氏ですが、週刊文春の記事が「ゴーストライターをやっていた」という新垣隆氏の告白を載せていなければ、この年末も佐村河内氏の曲があちこちで演奏されていたに違いありません。
 現在、NHKと民放連が設立した第三者機関のBPO(放送番組・倫理検証機構)の放送倫理検証委員会で佐村河内氏を扱ったテレビ番組について放送倫理違反があったかどうか審議をしているところです。審議の対象になっているのは実に7つの番組です。NHKも民放もキー局も地方局も……そろって佐村河内氏の「天才」ぶりや「障害を乗り越えた」という“美談”を伝えていました。それだけ多くのテレビ局やそこで番組を制作している人たちが佐村河内氏が演じていたことを見抜けなかったということです。

 なかでも私にとってショッキングだったのは、テレビ業界でもチェックが厳しいことで知られる「NHKスペシャル」まで「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日)という放送で佐村河内氏を持ち上げるような番組を放送していたことでした。
 なかでも彼自身が作曲して、譜面に書き込むシーンはドキュメンタリー番組のなかでは一番のキモになる場面のはずですが、そこを本人が撮影を拒否した、と説明するだけで撮影しないままに終わった「詰めの甘さ」は同業者からも批判にさらされました。実はNHKスペシャルはまだマシな方でした。
 TBS の「中居正広の金曜日のスマたちへ」の「音を失った作曲家 佐村河内守の音楽人生とは」(2013年4月26日)などは、彼のこれまでの人生も本人の自己申告通りに再現VTRを作るなど、今になってみると滑稽そのものの番組です。ナレーションもよくよく聞けば「ありえない」場面がいくつも登場します。
ありえないはずの佐村河内氏の半生がもっともらしく感動物語に仕立てられて、放送されてしまったのはなぜなのでしょう?
 
 それはテレビ番組が「美談」や「イイ物語」を求めているからです。殺伐とした時代ですが、みんなどこかでありえないような「感動物語」を見たい、多くの視聴者はそれを見たいと感じています。制作者もそうした物語を心の底で探しているところがあります。「イイ話」「美談」に対して、どうしても疑いの目で考えるということは「いけないのでは?」という抑制心理が働いてしまいます。

 佐村河内氏が作り上げたのは、いわば「理想の美談」でした。聴覚に障害を持っている作曲家。まるでベートーベンと二重写しです。それが障害と合わせて、原因不明の「耳鳴り」に妨害されながら、這い回って苦悩の中で天からの啓示である音を受け取って、曲として紡いでいくのです。
 彼は被爆2世で、いつも苦難と闘って心に傷をかかえた人たちのことを思っています。被爆した人たちを思って曲を作って、コンサートを開き、東日本大震災で親を失った子どもや障害で義手の少女のために演奏会を行います。
 テレビが求めている「完全な筋書き」でした。

 佐村河内氏は謝罪会見の中で「大きく取り上げられ、自分が制御できないほど巨大化し、いつかばれるのではと怖くなった」と話していますが、これはおそらく彼の偽らざる実感だと思います。彼が作った美談が、それをもっと感動的な美談に仕立て上げたいテレビがますます大きな美談にしていき、本人でさえも制御できないほどの巨大なものになっていったのです。

 障害者が思わぬ才能を発揮する、という美談に酔いやすい人は、どちらかといえば、善良な感激屋の人が多いと思います。テレビ番組の制作者にもその種のことに疑い深い人と単純に信じ込みやすい人の2種類に分かれます。どちらかといえば、同じ制作者といっても、報道畑の人は疑いやすく、制作畑の人は信じやすいように思います。信じやすい人は障害そのものを疑う目も曇りがちです。
「聴覚障害というけれども、本当は聞こえているのではないか?」
そう考えること自体、不謹慎に感じられるからです。疑いが心の中で持ち上がったとしても自ら塞いでしまいます。

 そういうふうに「美談」は自己増殖してしまい、チェックがしにくくなってしまいます。もし、どこかで交響曲などのクラシック音楽について専門的な知識を持つ制作者がかかわっていたら、番組のチェックは多少違ったものになっていたかもしれません。しかし、ほとんどの番組ではそうした専門的なチェックをすることなく本人による自己申告をそのまま信用した放送が流されてしまったのです。

 テレビという映像メディアは、ドキュメンタリーでもドラマでもあるいはニュースであってさえも、「物語」にして伝えます。映像メディアではどうしても主人公を設定して、その人物の泣き笑いや苦難の末の成功物語で進行していく伝え方だと視聴者には分かりやすいのです。
もうひとつあった「イイ話」とは……?
 もうみなさんお分かりでしょう。そう、STAP細胞です。年末になってから理化学研究所の正式な報告がまとまりましたが、「STAP細胞はなかった」という結論がはっきりしました。

 一番、最初にSTAP細胞がニュースになった時に、「リケジョ」の小保方晴子さんが「おばあちゃんの割烹着」の姿で実験を繰り返し、ピンクの小道具だらけの実験室が強調されました。さらに、「これはノーベル賞ものの発見」という報道が少なくありませんでした。
 佐村河内氏の件もそうですが、テレビ制作者も「美談」が大好きです。そして私たち視聴者も同じです。こんな話になってほしいと、自分たちが見たい美談の物語のイメージにどんどん引っ張られていきます。
 そうした中で、日本人の「リケジョ」、しかもルックスも良くて、おしゃれにも敏感な女子が世界的な発見をした、という話題です。みんなでこの感動を共有しましょう、とばかりにこれでもか、と「リケジョ」「割烹着」「ピンク」や着ていたワンピースの「ヴィヴィアン・ウエストウッド」「巻き髪」まで、話題は沸騰しました。

 でも、テレビで伝える時に、科学的な意味での検証がどれほど行われたでしょうか? テレビ局には、「科学担当の記者」などというのは存在しません。新聞には科学部があったり、NHKには報道局のなかに科学文化部というセクションも存在しますが、民放にはありません。科学に強い記者がいても、それは原子力や災害などの報道で力を発揮する程度です。STAP細胞などの科学や科学的な論文についてくわしい記者というのは、もしも存在したとしても数えるほどでしょう。
 
 科学的な、つまり、専門的な立場からの検証を怠った末に、まんまとだまされてしまいました。これらの事件でテレビが学ぶべきことは2つです。自分のテレビ局のなかに「専門的な制作者・記者」をきちんと置くこと。それから「美談」や「イイ話」こそ、疑ってかかってチェックを厳しくすること。
 そこははっきりしているはずなのに、今年のこうしたテレビ報道の間違いを経験してもなお、テレビ各局からここをこう改善します、という声は聞こえてきません。

 釈然としないのは、だまされていた、ということが分かった時、テレビ番組が佐村河内氏を袋だたきにし、小保方さんを袋だたきにして、以前は一斉に持ち上げていた自分たちの側の「問題」には見ぬふりをしていることです。これでは来年以降も同じような間違いを犯してしまうことになります。「美談」にだまされた2014年の教訓にぜひ学んでほしいものです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

nowhere

Author:nowhere
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。